チキンな自分への反省文としての覚書。伝える。


先の金曜の朝TLにRTで流れてきた。元のついーとは2年も前のもの。



元ついーとの意図はおそらく,作った人に直接「好きだ」を伝えるのが難しいものでも,発言していればまわりまわって作った人のところに届く(から無意味だからと黙るのではなく積極的に発言しようよ),ということ。


作った人に直接好きだと伝えられるものを,あえてブログや2ちゃんやTwitterで好きだと言おうという主旨ではなかろう。


直接伝えられるなら直接伝えればいい。


そんなに難しいことではないはずなのに,わたしにはこの上なく難しい。


そんな話題があった次の土日に,たまたま,すさまじく直接何かを伝えやすい状況に身を置いた。立て続けに。どちらも,一緒にいた人達から「行かなくていいの?」と何度か言われた。ぢっと黙ってガン飛ばしている方がよほど不審なシチュエーションだった。


頭ではわかっていても体も口も声帯も仕事をしない。もともとハプニングに弱いタチでもある。


土曜の方は,とくに伝えたいことがあったわけではないのだが,可能ならばご挨拶なりに伺っても差し支えない場面であった。挨拶できない子ぶりを発揮してしまった。


日曜の方は,伝えたいことがあり,伝える時間はあり,先方の状況もおそらく差し支えなさそうであり,たった一言二言でよく,それはけして込み入った内容ではなく,伝えて悪い風には受け取られないであろうことも予測できていた。


そこまでお膳立てが整っているのに,いざとなると頭真っ白ですわよ。なぜわたしの声帯は仕事をしない。


この場で言うてもそれこそ回り回って届くとも思えないのですが,その節は不審者で申し訳ありませんでした。


ちょっとした感動の気持ちや応援の気持ちをさらっと伝えられる人を羨ましく思い,尊敬する。


伝えたいことがある場合もあれば,訊きたいことがある場合もある。後者はやっかいだ。ちょっと捕まえて一言訊ねれば済むだけのことをあーでもないこーでもないとぐじゃぐじゃやっているのははなはだ非効率的である。不毛だと思いながらそういうことばかり繰り返している。


こっちは向こうをよく知っている(というほどには知らないが,顔と名前ぐらいは知っている)が,あちゃらさんは道を歩いていて突然知らない人が待ち構えていて声をかけてくる体である。いっとう最初のアプローチのしかたに悩むものである。


アプローチのしかたがかたまっても体がかたまってどうにもならんのが,最大の難所である。


先は長いが,バランスと具合のほどほどによろしい状態がベストなので,様子を見つつある程度改善していかねばならんなあと改めて思った土日であった。


そしてそれだけチキンなのに,ブログにはいくらでも書けるのである。回り回って要旨だけ届いていればいいなあ。