「なつやすみのにっき」2018


気が向いたらそれぞれの日付にわけるが,おそらく気が向かないのでまとめて。そもそも1か月以上放置していた。その間,9人制全日本実業団@仙台やビーチバレーの全日本選手権(「ビーチバレージャパン2018」だっけ)@鵠沼海岸を覗いたが,概ね本業で疲れ果てる日々が続いている。


例年夏休みはお盆時期を外して取り,夫と2人で国内(まれに国外)旅行をしている。今年はしない,わけではない(未定)が,所用でお盆に休みを取って帰省することになった。世間の人々の夏休みスタイルにのっかる形である。


きっかけは,春のはじめの某日。見損ねたままシーズンが終わりそうな桜を惜しんで近場の花見スポットで夜桜散歩をしていたら,実家から電話がかかってきた。曰く,小学校時代の同級生からクラス会をする旨の連絡が来たので,先方に連絡されたし。


かれこれ30年近くやりとりのない旧友におそるおそる電話をし,今回用のグループLINEに混ぜてもらってそこから話はトントン拍子。開催は遠方在住組が帰省するお盆という話で,当初はクラス会だけの日帰りも辞さない構えだったが,14日の夜開催で宿泊が必要となり,帰省に大阪開催の6人制クラブカップをくっつけて結局長期のがっつり休みにしてしまった。明日が怖い。

8/14火


ややゆっくりめの起床,のち荷造り身支度。新宿駅にて某氏と落ち合い,東京駅までの間に神宮のチケットを売りつける。11時過ぎの新幹線で岡山に向かい,岡山着が2時半。夫と合流。車を借りて郊外でお茶をし(桃のスイーツが食べたかったのだが,結局街のケーキ屋さんでごく普通にゴージャスなフルーツパフェを食べた)ぼちぼちクラス会まで送ってもらう。


クラス会。5年ぶり開催の由。前回は自分が消息不明になっていた(諦められていたのかもしれない)。今回は当時の恩師の定年退職を祝っての集まりで,出席率も高く,楽しかった。皆それぞれの人間関係のもとでそれぞれ生活を送っていて,おそらく日々いろいろあるのだろうが3時間足らずでそういう難しい話にもならないわけで,当時の思い出話だとか軽い近況報告だとかであっという間に過ぎていった。「お母さんに似てるね」と「変わらないね」が自分について言われた2大ヒットか。だいたい当時の保護者の年齢かそれ以上なので,当時の本人よりも保護者を思い出す方が近い説。とはいえ,面影があるのに年齢は重ねている,でもたしかに本人の顔である,という不思議な感覚だった。


何より,我々が小学校を卒業したあと,中学校を卒業し,高校を卒業し,進学したり就職したり結婚したり子どもがいたり,そのあいだずっと小学校の先生を続けて何百人何千人もの児童を送り出してきていた恩師に対し(そういう職業と言ってしまえばそれまでではあるが)改めて尊敬の念を抱いた。今回のメンバーにはいなかったが,これまで教え子が保護者になって再び現れるケースもあったそうだし,直接の教え子ではないながら,ニアミスをしたケースもあったらしい。


高校を卒業するまでの間,毎年のクラス担任や教科担任で多くの先生に教わってきた。その1人1人についてはほとんど記憶にないのが正直なところだが,今回の主賓の先生は印象が深く,自分の考えに与えた影響も大きい(ような気がしていて)勝手に恩師と思っている何人かの一人である。「今ならアウトだよね」なんて笑いながら,昭和と平成の境目の田舎の小学生のたくさんの思い出。

8/15水


活動的な1日。母方の叔母の家にちょろっと立ち寄りつつ,父の実家に墓参り。昨夏亡くなった父方の祖母の初盆。あいにく出払っていたので,父と夫と3人で墓参りだけして辞す。初盆にもかかわらず提灯も送ってない不良孫である。道中,長年放置されていた塩田跡地に広大な太陽光発電施設が設置されていて,なんとも壮観だった。


そのあと,母方の祖母が入所している特別養護老人ホームに顔を出す。昨年末に病気をし,少々からだが不自由になった。半年近く入院していたが,特養にうつったと聞いたのが帰省のちょっと前。昼時でもあり,誕生日おめでとうと伝えて早々に退散。


それから小一時間かけて(!)スタバに行く。途中で昼ご飯にカレーを食べたりなんだりしていて時間が押し気味。着いてからは,どうしてもやらねばならぬ本業方面の用件に着手し,がっつり夜まで。疲れた。帰宅後,祖母の妹の形見分けを確認したり,小中高の卒業アルバムを見たり。

8/16木


夜に送り火を焚くまでは大丈夫,という謎理論によって,母方の(つまり自分が住んでいたほうの)家の墓参りに行く。夫がうちの墓参りは初めてというので,少々驚いた。たしかに年末年始の帰省では墓参りはしない。お彼岸やお盆に帰省していないので機会がなかった。考えてみれば,自分も夫の実家方面の墓参りをしたことがない。


それから祖母を訪ねて少しまったりし,(中略),車を返して遅い昼ご飯を軽く食べて,京都まで移動。五山の送り火を見る。


送り火のときに京都にいることがほとんどない。住んでいたときもこの時期は実家に帰っていた。就職した最初の年に(夏休みをお盆に取ったので)見たかもしれない。当時夫が住んでいた丸太町方面の寮の屋上で。それ以来の2度目,ということはないと思うのだけれど(すごく混雑した百万遍界隈にいた記憶がかすかにある),せいぜい3度目か4度目か。


北大路の加茂川の橋のところが人もさほど多くなく大文字が綺麗に見えるというので,行ってみた。地下鉄北大路駅から徒歩5分ほどでアクセスも楽。河川敷からなので,視界も良好。大文字の点灯を見た後,加茂川を少し遡って,妙(ちょこっとだけ)と舟形(下のほうが切れるもののまあまあ見えた)を見て,駅に戻る。もどりがけ,北大路の先に左大文字も少し見えた。高いところでもなくこれだけ見られれば上々。


三条のフレンチバル(?)で晩ごはん。カジュアルでリーズナブルでおいしいお店だった。

8/17金〜19日


17日の休みを安易に取ったために休み前にばたばたしていた説は否定できないが,6人制全日本クラブ選手権である。4年前の袋井(エコパ)が最初で,大阪,仙台と3年続けて行った。一昨年猛暑の仙台で心が折れて「もういいや」と思い,去年はパスし(たことを今の今まで忘れて仙台が去年と勘違いしていた。道理で去年の出場チームや結果が自分の記憶と繋がらないわけだ)たが,結局今年も行ってしまった。土日にはその他各種大会が重なっていたのでハシゴプランもあったが,3日間大阪ステイ。


初日10:45(港SCは11:00)開始から第6試合の途中までほぼフルで見て,2日目は9:30開始で第7試合の終わりまで8時間半滞在。最終日までいたのは初めてかね。前回大阪も見たかね。最終日は前日の疲労がたたって朝9時半からの準々決勝にはとうてい起きられず,準決勝すら間に合わず,決勝戦だけ見た。広い中央体育館に2チームだけ,ほかのチームも撤収済みで,3日間の祭りをおもい,しんみりとする静けさだった。


再来年国体開催の鹿児島のちぇりぶろが優勝。準優勝が今年国体開催の福井クラブ。福井クラブは去年も準優勝。ここ数年,和歌山クラブにしろ愛媛クラブにしろ,国体開催が近づいているチームが強くて,まあ,当然ではあるが,当然ではあるが……という気持ちになる。去年優勝した岡崎建設はつねに強いイメージがあるが,あれも岩手国体効果も大きかったのかもしれない(今年の東北総体は宮城(仙台大単独)に破れて2位の由。それでも強いけども)


閉会式ではクラブバレーボール連盟副会長の挨拶で,クラブスポーツを盛り上げてね(超意訳)とのお言葉あり。


休みの都合がつかずに来られない選手が少なくないとか,国体予選と重なったらそちらを優先せざるをえないとか,いろいろと選手繰りも大変で,ポジションだってスペシャリストを揃えることは難しい。強いチームもあればうまくいかないチームもあり,試合そのものだけでなく(もしくはそれ以上に)前後の宴会が重要な気配も感じる。彼らはべつに世界や日本のバレーボール界をどうこうしようとかの崇高な理念によって滅私奉公しているわけではなく(もちろん崇高な理念で活動している人もいるだろうけれど),会場確保から選手,用具,移動手段,諸々あれこれ大変でお金も時間もかかるけれど「好きだから」でがんばっている。彼らの「好きだから」が前面に出ているプレーヤーズイベントにただの観客なんてよそものもいいところだけど,観客の皆さん最後まで応援ありがとうございました,と件の挨拶で触れてもらえるとすごく嬉しく意気に感じるのだからちょろいものである。


Uターンラッシュで混雑する新大阪駅を抜けて,帰京。夏休みのUターンは分散するので,GWの混み具合を考えると同じくらいか少しマシか。しかし移動やら観戦やらで疲れて,3時間ぐらいぼーっとしていた。荷物も片付いていないし洗濯物が山と積まれている。


さて,仕事に戻れるだろうかね。