1月7日って,なんでかおめでたい気がする。

“理由は特にないはずなのに”と続けようとしたところで,七草粥の日であることを辛うじて思い出した。去年は七草セット買って七草粥つくったけど。今年も同じセットをスーパーマーケットに売ってたけれど,ごちそうを食べていないからなのかちっとも心惹かれなかった。けっこう菜っぱ臭いしね。


ところで,なんで七草粥って1月7日なの?


今夜は晴れていて,帰りに空を見上げると満月だった。旧暦だとまだ12月。NHKニュース10で日本のくだものを海外に輸出する動きがあるという特集をしていて,鳥取県の20世紀梨を台湾に輸出しているのだそうだけど,冷蔵保存をしておいて,贈答品用の高級果物の需要がたかまる今月末の旧正月に合わせて出荷するんだそうな。で,旧正月って,なんだっけ? 旧暦の正月と旧正月は同じもの? それとも1月15日のこと?


ふだん太陽暦で生活していて何も困らないのだけど,こういう話になると,自分の無知に出会う。ほかには,昔の話(歴史の教科書でも窯変源氏でも)を読んでいると,書かれている月日や年齢が新暦や満年齢に換算したものかそうでないのかが俄には判断つかないので,たまに「どっちなんだろう」と気になることがある。年齢はともかく,月に関しては,季節感が全然違ってくる。例えば元寇の時に本当に台風は吹いたのか,という話があって,文永の役は9月だか10月だかの出来事なんだけどそれって新暦だと11月ぐらいになるから台風はどう考えても変だろう。とかね。ただ,そんなことを書いてある文章を読んだのが去年の暮れで,去年は11月に台風が発生していたので「たまにはそういう年もあるんだよ」って思ってしまったけど。


一部の人に対して年賀状の賀詞を「さわっでぃーぴーまい」にしてみたのですが(これが「あたり」(1月1日付け参照)。「あたり」っつーか単に数が少ないっつーだけ。賀詞として適切であったかどうかは不明),数字を書く段になって,西暦で書くのって本当は不自然なのかしら,と,ちらと思ったものだった。あわづさんの雑文あたりに詳しいけれど泰王国では普通仏暦を使うそうなので。でも仏暦だと全然新年じゃないので仏暦の年を書くのは変だし,そもそも,仏暦で今が何年なのか(2546年?)知らないし。手持ちの語学系本には,A.D.とB.D.みたく仏暦と西暦の略号がそれぞれ載っているのですが(ふだん使うの?),その本は実家に持って帰っていなかったので調べることもできんかったのだった。


実家といえば,7月にチェンマイから実家あてにコーヒーカップ&ソーサーのセットを送った時に同封されていた送り状(わたしが添えたのではなくお店がつけていたもの)を,今回帰省したときに母親に「読んで」と言われた。英語で書かれていたために誰もその内容を解読できなかったそうな。わたしも英語は読めないので正確なところはわからないのだけれど,文面から漂ってくるニオイから判断するに,「送ったよー。1か月ぐらいで届くよー。保険かけてるから,もし壊れてたら30日以内にうちの会社に連絡してね(はぁと)」ということだったみたい。送り状はミニレター様のもので15バーツ切手(印刷?)に消印まで入っていたので,荷物に同封じゃなくて別便じゃないのか? と思ったのだが母に聞くと同封されていたという。謎。そんな仔細はともかく,それを半年近くたった今になって読んだところで,どうしようもないんですが。壊れていないかどうかは確認していたから大丈夫だったのですが。


文面は英語(それもプリントアウトではなく,どうやら一通ずつタイプライタで打った風情)だったけど用紙にはタイ文字がちらほら書かれていて,そもそもわたしが今なんでこの話を書いたかというと,その用紙にロゴデザイン風に「BANGKOK 2003」と印刷されているすぐ下に(デザインの一部のように)タイ文字・タイ数字で「くるんてーぷ 2546」(数字アヤシイ)と書いてあったわけ。それが解読(「読んだ」ではなく「推測した」が適切)できてうれしかったというのもあるんだけど,それ以上に「ほんまにくるんてーぷで仏暦なんや〜」と思ったわけ。それだけ。