今朝の「生活ホットモーニング」は

身近な道具のふるさとを訊ねるシリーズ(正式名称不明)「そろばん」。思わずまじまじと見入ってしまってあわや遅刻。っていうか都営新宿線の事故の影響でダイヤが乱れてて実際始業時刻には微妙に間に合わず。


わたしが小学生のころは算数の授業でそろばんを習ったものだけど(3年生だったっけ),今の学習指導要領ではどうなっているんだろう。例によって,クラスメイトの多くは学校で斡旋してくれる(学校経由で申し込める)そろばんを買っているのに,わたしのは祖父が用意してくれたそろばんで,みんなとカバーが違うのでちょっと「例によって」気分だったことを記憶している。(でも,冬に着ていた毛糸のベストも幼稚園のときの水着も入学したときの筆箱も3年生の時のお習字セットも全部そんな感じだったので,そろばんの時にはもう慣れていたと思う。それに,子どもなりにわたしが使わせてもらったそろばんはものがよさそうだということが推測できた。それ以前の「みんなと違う」グッズは単に「違う」だけが目立ってちっとも嬉しく感じられなかったものだけど)。


あのころは,そろばんがもっとずっと身近だった。家では家族が普通にそろばんを使っていた(母親は当時そろばんを使って家計簿を付けていた。今は知らない)。ああいう不思議なおもちゃは子どもの心を捉えるもので,わたしも学校で習うよりも以前からよく遊んでいたものだ。ひたすら「1+2+3+4+……」をしていくのとか,その手のやつね。一時随分はまってたような(でもその手の足し算しかできない)。で,うちにもいくつかそろばんがあるのに,学校の授業で使うからとわざわざ新しいそろばんを用意してくれたんだよね。“みんなと違う”はともかく,それは嬉しかったものです。そろばんの授業って,そんなに何回もはなかったよね。勿体ないといえば勿体ない。家族は,その後そろばんを使わないようになるとは思っていなかったのかもしれない。


今はどうなのか知らないけど,あの頃って子どもがそろばん習うってのがポピュラーな習い事だったはず。わたしは通っていなかったんだけど学区内にもそろばん教室があったらしく,そこに行っている子が結構いた。彼女たちは足し算引き算だけでなくかけ算割り算もできるので,算数でそろばんを使っていた(学校にそろばんを持って行っていた)間に,休み時間などに教えを請うたものだった。でも結局わかんなかったし覚えられなかったんだけどね。九九が暗算できなければ意味がないんじゃぁと。中学校の時にはもっとたくさんいて,暗算できる人って凄いなぁと今でも思うのです。どうなっているのだろう。わたしは足し算引き算が苦手な所為で日常生活で困ることしばしばなのでなので,そろばんをきちんと習っておけばよかったかな,と,たまに思う。ほかのおけいこごとをしていたことや,家族が「これからはそろばん技術は不要になる」と判断したことなどから,あれほどポピュラーな習い事だったにも関わらず授業とオアソビ以外には全然さわってないのですよ。


ここ15年ほどの間にすっかり日常から姿を消してしまった感のあるそろばんだけど,もしかして消費税導入が大きな契機なんじゃないかと。どう?


生活ホットモーニングはたいへん「砂の器」な感じのようでした。「砂の器」じゃなくて「点と線」だっけ? どっちがどっちだかわからないけど「点と線」は読んだことがないはずなので「砂の器」でしょう。読んだことがあるとはいっても随分(10年以上)昔のことで,例によってあらすじを全然覚えていない。1月からの民法のドラマで中居氏主演の同名のタイトルのドラマがあるようで,TVガイド雑誌によると原作に松本清張とあったからあの話が原作なんだろうけど,ドラマの紹介を見ても記憶も呼び覚まされないわけ。あらすじ以外の部分が強烈に印象に残っているんだけど,あの話って,今そのままドラマにするのはあらゆる意味で微妙(無理でしょ)と思うんだけど,どうするのかなあ。それともやっぱりわたしの記憶違いなのだろうか。


で,こういう話はこんなところに書かずに直接電話で話せばよいのだが,かけるといつも途方もなく長電話になってしまうので平日につき自重。三日坊主どころか1日たりとて実行できていない「早寝早起き」。(00:35)