話が随分横道に逸れたので元に戻して,

11日に第一回の感想として“でもまぁ,ある種のパスティーシュと受け止めれば良いのでは。”と書いた件で「パスティーシュって何?」という問い合わせをいただいていたので,それについて。長くなります。ちゃんと書けるかしら(どきどき)。


結論から言うと,わたしの用語の使い方はどうやら正しくないらしい。それを踏まえて。


取り敢えず教えてぐーぐる先生で検索したところ,なんとトップは「はてな」のキーワードだったので驚いたのですが,ここから「パスティーシュ」を含む日記を読みに行けばすぐに分かるように,こんにち一般にパスティーシュというと専ら清水義範の専売特許であり彼の広めた「文体模倣,ひいては文体を使ったコトバアソビ全般」を指しているように思う。


ただし,わたしが「パスティーシュ」という言葉を知ったのは清水義範によるものよりもずっと先で,日記に書いたのも「コトバアソビ」という意味ではない。ぐぐるの結果を見ればわかると思うけれど,パスティーシュといえば清水義範でなければシャーロックホームズもののパスティーシュ作品がひっかかる。わたしはパスティーシュ作品の方を読んだことが無いので断定はできないけれど,これらは,いわゆるコナン・ドイルが書いたのではないホームズモノのフィクションの作品群(と思う)。つまり「パスティーシュ」は「パロディ」の同義もしくは類義語と推測される(きっと)。少なくともわたくしは「パスティーシュ」=「パロディ」という認識の上で,わたくしが認識している「パロディ」の意で件の“ある種のパスティーシュ”云々と書いた。


ここで「パロディ」を類語辞典でひいてみると(職場にあるのを適当にみたので,出版社も正確な記述も忘れたですが),文体・語調などを模倣した創作のことで,揶揄などのニュアンスを含むものも多い,といった感じ(あくまで「感じ」なあたりが弱い)。


どうやら「パロディ」も第一義には「文体模倣」が来るらしい。(ますます「パスティーシュ」と同義ですな)。一方で,はてな的「パロディ」を見ると,“ただし、オタク界的には「オリジナル創作」の対義語程度の意味か。パスティーシュも参照。”


つまり,これね。オタク界的「パロディ」語義認識をしていたわたしとしては,「パロディ」は「文体を模倣した作品」ではなく「設定とキャラをパクった二次的創作物」という認識が強かった。先の類語辞典の解釈ポイントとして「など」に「設定」とか「キャラ」ってのが含まれるのかどうか,辞書を前にかなり悩んでしまったんだが,どうなんだろう。


はてな」の「パスティーシュ」キーワード解説に「パロディ」と「パスティーシュ」の違いってなんだ? ということが書いてあるのだけれど,絶対的なのは出自が英語とフランス語という違いなんじゃないか。それ以外には無いかもしれない。外来語はもとはほぼ同じ意味の語でも日本語になった時点で特化される傾向があるので,日本語に於ける「パロディ」と「パスティーシュ」は違う意味を持っている可能性も高いがその違いを強いて挙げると,やはり「こんにちに於いてはパスティーシュ清水義範の専売特許的ニュアンスで使われることが多い」が第一にくるのではと思うのだが。


と,まぁだいたいこんな感じ。「だいたい」から先が更に続くんだけど,そろそろ疲れてきた方は飛ばしてください。あとはオタクの戯言なので(今までだってオタクの戯言だ)。


さて,今回の大河ドラマを“パスティーシュ”ではなく“ある種のパスティーシュ”としたところの理由。前に書いたように,わたくしの認識する「パスティーシュ=パロディ」の語義は「設定とキャラをパクった二次的創作物」なので,オリジナルはオリジナルの創作物でなくてはいかんと思っているわけ。これで世間一般に広く認知されている「新選組」が,例えば誰かがオリジナルで創作した有名小説であれば,これは完全にわたくしが認識するところの「パロディ」だと思うのだが,新選組は実在の組織であってけしてオリジナル創作物ではない。ということは,三谷氏の脚本になる大河ドラマでの描き方も,厳密な意味では「パロディ」ではない,そこで「ある種の」をくっつけていた,と。それだけ(短いやん)。


ここでまた話が横道に逸れるが,小説の漫画化・アニメ化・映画化・ドラマ化などはよくなされていることだけど,これは「パロディ」とは言わないよね。元々の設定やストーリーから大きく外れていることだってしばしばあるのに。それにちゃんと商業ベースで展開されている(そりゃ,ちゃんと原著者に許可取って権利関係クリアにしてるから問題ないんだろうが)。こないだ今の朝ドラの原作であるところの「てるてる坊主の照子さん」をちらと立ち読みしたけど,全然(は言い過ぎ)違ってた。この違いはどこにあるんだろう。ストーリーもパクって(?)いるともはや「パロディ」ではないってことなのかしら。それとも,上記の権利関係などによるものなのかしらん。


さて話を再び元に戻して,この「パロディというからにはオリジナルも創作物でなくてはならない」というのはどうやらわたしの偏狭なモノの見方でしかないようで,一部のオタク界そうではないらしい。確かに,人物やその人物が動く場を創造することもキャラクタ小説的創作に於ける重要なポイントなので,それをパクっている時点で元ネタ(オリジナル)が創作物であろうが実在の事物であろうが「オリジナル」創作ではないと考えることは自然な流れであろう。よって,実在の事象から設定・人物をパクった創作物が「オリジナルでない」という考え方は認めるけど,それでも元が実在の事象であれば「創作物に対する二次創作」ではなく,創作物としては「一次」であると思う,したがって「パロディ」ではないと思う,んだよなぁ。おいらだけだろうか。


なんていうか。時代小説は全部「パロディ」なのか,って感じじゃん。違うじゃん。ぷんすか。


ここに,オタク界での「パロディ」の解釈が「文体などの模倣」ではなく「オリジナル創作の対義語」であるという面が強く出ていると思う。つまり,もはや文体は模倣していようがしていまいが関係ないのだね。小説作品の設定をパクって漫画で表現することは「文体模倣」ではないが,オタク界では「パロディ」(というか……うーん。実際には「パロディ」とは呼んでいないような気がするが,適当な単語が思い浮かばない)に含まれるということで。


と,しょうもないことを熱く語ってしまった。つまりわたしはジャンル「芸能」に走ってしまう傾向があるのですが,二次著作物と一緒に扱うことに何となく違和感あるのです(分からない人は読み飛ばしてください。かなまるはボーイズラブものを「やおい」と呼ぶが「やおい」は本来パロディのことであり,だからわたしは狭義の「やおい」度はかなり(めちゃくちゃ)低いとかそういうこと。あとは,今回わざと書かないようにしたけど必ずしも同人活動ではないのに「同人」と呼ぶこととか,それでいえば「オタク」という表現も元の意味から随分外れた言い方で違う気がする。どうもあの世界については的確な表現ではないままいろんな用語を適宜仮借若しくは拡大解釈して使っている傾向が強いような気がするなぁ,いや,いいんですけどね。ときに,以前かなまるが以下自主規制だからわたしが以下自主規制云々と書いた折には何の根拠もなかったけど,局長が郷里に充てて書き送ったそうな書簡に「局中頻ニ男色流行仕リ候」と書かれているそうで,と言っても本にそう書いてあっただけでその手紙の写真が載っていたわけでないんだけど,これでごはん3杯な感じ(笑))。


ところで,ホームズモノのパスティーシュがなぜ「パロディ」じゃなくて「パスティーシュ」と広く呼ばれているのかは寡聞にして(浅学にして)知らず,また,他の外国文学を読んでいないのでパスティーシュという言い方がシャーロックホームズもののみ広く使われているのかその他の作品のそれに対しても使われているのかもわからないのだけれど,ぐーぐる先生的にはそういうことで。(どなたか詳しい方がいらしたら是非教えてください)。