こんどうさんにお付き合いいただいて「THE LAST SAMURAI」。

東京でロードショウを観るのは初めて,劇場で観るのは「木曜組曲」以来。劇場でと限定せずとも,ビデオやテレビで映画を観た記憶もかなり長いこと無い。斯くも映画と疎遠な日々を送っている今日この頃ですが,おもしろかったです。前々から観てみたいかも〜と思っていて,そろそろ終わりそうだったので重い腰を上げた,と。東京には人がたくさんいるので,いっぱいで入れなかったらどうしようと危惧していたのだけど,さすがにもうそんなことも無く。席もそこそこ良かった。


事前に見聞きしていた観た人の感想によると,日本や日本人の描き方があまり勘違いな感じでなく良く出来ている,ということだったので,かなり信用していたわけです。が。上映後こんどうさんと一致した感想,「おもしろかったね,ツッコミどころ満載な感じで」。


いへね,ゲイシャ,フジヤマ,ハラキリ,の類の腹立たしい程にベタベタなティピカル(勘違い)ジャパンではない,確かに。ツッコミたくはなるけれど,不愉快ではない。フィクションだからこれでいいんじゃん,って受け入れられる。ので,別に文句ではないのですよ。寧ろ「ありがとう,上映後の酒席の話題を提供してくれて」って感じで。普通におもしろかった(強調しておきますが,普通におもしろかったんですってば)上に,その種の楽しみ方までオマケでついてくるなんて,一粒で二度おいしいというかグ○コのオマケというか。制作側はまさかそこまで意図していたわけではないのでしょうが。


あのですね。“良く出来ている”のは,悪い風に(嘲笑を誘うように)強調して描かれていない点や,日本語の科白が日本の時代物と同じ点。また,肝心の「武士道とは何ぞや」等の当時の人々の思想についても,特に興味関心知識が無いわたしにはさほど不自然とは感じられなかったので(正直狐に摘まれたようなよく分かんない感じではあったけど)“良く出来ている”と言えましょう。が。大変大変フィクションであったことには(つまり満載なツッコミどころの基盤として),全体的に,時代考証的に,どうなんですか。


あくまでフィクションなので,物語の舞台は実在した1877年の日本ではなく日本風のどこか違う世界の国だと思えばそれでよろしかろうよ。もしくは,西暦の1877年ではないのかもしれません。宇宙暦とか(笑)


つまり,まず描かれている「SAMURAI」さん達が,非常に前近世的なのです。とても19世紀も終盤とは思えませぬ。役者の所為かもしれません。渡辺謙というと時頼パパ(@大河ドラマ時宗」)かさもなくば政宗(@大河ドラマ独眼竜政宗」),真田広之といえば足利尊氏(@大河ドラマ太平記」)。この二人が戦国時代を扱った大河ドラマ的鎧甲を着て馬に乗って刀握って走ってたら,ねぇ。合戦のシーンは「天と地と」を彷彿させました。きっとみなさん彷彿としたことでしょう。あんな重そうな鎧甲で戦うか? アンタ達何者? それに,いくら「彼らは侍です」からって織田信長でさえ戦に鉄砲を使ったというのに,余程勝つ気が無いんならともかく,本気で戦おうと思っているんなら「弓と刀だけで,鉄砲は使わない」なんてこと,無いでしょう。エェ? 全くよぅ。


もう一つ,ジ・エンペラーが些か適当に描かれていたのが。最初野村萬斎かと思って見てたのですがなんだかだんだん違う気がしてきて(野村萬斎にしては若い)エンドロールによると中村七之助だったのですがそんなことはどうでもよく。ほかの登場人物はモデルすらいなさそうな架空の人物的だからどう描かれてもいいけど,エンペラーだけは現実の1877年の日本の天皇っていうと1人しかいないから,どうしても比べてしまうのよね。わたしは明治天皇とお友達だったわけではないのでどんな人物なのか全然知らないし明治初期に天皇がどういう風に扱われていたのかも全然知らないんだけど,えぇと,江戸城のつもりかもしれんが石段がむちゃ多い(神社?)し,同じ部屋(次の間みたいなとこじゃなく)にエライヒトたちが並び居ることや御簾が無くて玉顔拝したてまつりまくりなことは俄に信じがたいし,ましてや玉座から降り立って直接歩み寄って声を掛けるなどということをしたものだろうか。七之助氏では些か若すぎた。


さらにもう一つ。これは声を大にして言いたいのだが,小雪トムクルーズがちゅぅをするのがけしからん。こんどうさんは「トムクルーズ小雪を見る目が最初からずっと嫌らしかった」と仰った。激しく同意。しかも,映画の最後で,空想シーンとはいえ,トムクルーズ小雪の住む村に帰ってくるのもけしからん。あんたは後家をたぶらかしてどうするつもりなんだ。そこでわたしとこんどうさんは声を揃えて「第一,トムクルーズが生き残ってるのがいかんよねー」と言うのだった。サムライスピリットに心酔したんなら,渡辺謙と差し違えて死ぬとか,渡辺謙に続いて切腹するとか,するのが筋じゃないのか。わたしゃ最後の合戦シーンで,トムクルーズがたいそう銃弾を浴びて落馬したときに「戦場で華々しく散ったのだなあ」と思ったのにさぁ。そもそもそれよりも前,いよいよ最後の合戦が始ろうという時点で「ハリウッドといえば主役(ヒーロー)は最後に生き残るもんだけど,この人,ここまで生き延びているのが既に不自然ではあるがこれで死んでしまうのか,よしよしハリウッドらしくなくて良い感じだぞ」と感心していたというのに! 感心し損だったよ,思いっきり。むちゃくちゃハリウッドお約束のまんまやん。そこで腹斬ってたら,泣いたかもしれんよ。(けして,人の死を望んでいるわけではないのです。ないのですがね。)


しまった,話が逸れた。小雪とちゅぅをするのがけしからんというのは,つまり,小雪ちゃんは武士の妻なのに(武家で武士なのかどうかかなりアヤシイが)夫が戦死した直後にほかの男とそんなことをするほど嗜みのない女性なのか,ということではなく,その当時山間の超田舎に住んでいた女性がキスを知っていたのかと。あやふやな知識だけど,日本にはもともとキスの習慣はなくて西洋の風習が入ってきてから広まったものだというのをどこかで読んだことがある気がするのです。床の中でもしてなかったんかまでは知りませんが,寝るでもなく単にキスだけってのは,トムクルーズには理解できる行為であっても小雪ちゃんには理解できないし発想もしない行為ではないかと思うのです。トムクルーズが一方的にするなら自然でも,あんな風に「目を見つめ合ってどちらからともなく」みたいな描かれ方は,たいへん西洋的である,と。フィクションだからいいんですけどね。


そんな感じ。うーむ。ツッコミしか書いてない。


遅くなったので大河ドラマの感想は略(誰も望んでいない)。そうそう,かなまるに「たまたまちらっと見たけど全然おもしろくない」と言われた。ふふふん(鼻で嗤う)。山本耕史のやばそうな感じでおいらは充分。各種本を読んでいると,京都に来てからの土方氏はわたくしあまり好きになれなさそうなキャラ(“キャラ”って書くな)なので,ドラマでどういう風に描かれるかはわかんないけど,今のうちが華かしらんと思っている。それにしても,各幹部達との出会いはオールオリジナル(=フィクション)にするつもりだろうか。今回100%オリジナル(=フィクション)ぽかったが,よもや原田氏と永倉氏とを登場させるために仕組まれた回だとは思いもよらず(本筋としては主人公の人格・思想が形成されていく過程を描いているんだろうが)。ただ,確かに,第1回で主要メンバがざっと出てきたとき,よほど下知識がないとどれが誰かわかんなかった風味だったので,作り話ででも毎回1人2人ずつに絞って印象が付くような参加の仕方をさせないと,「いつのまにか門人や食客になってました」でわややーっと登場してきたのではどれが誰かわかんないまま進んではしまうが。(01:03)