閑話休題。(でも酔っぱらい)


最初に新撰組(或いは新選組)の話題を出したときに,FEP新撰組を先に変換したから新撰組にします,と書いたのだけれど,大河ドラマのタイトルが「新選組!」だったり買った本のタイトルが「新選組」だったりで新選組が先に候補に出るようになってしまい,そうなったらどうでも良くなって混在しまくり。その時にも書いたけれど,ATOK12(たぶん)で変換した時には先に出たのは新撰組なれど一応新選組でも変換できたのだけれど,職場のMS-IMEでは新撰組しか出なかった。ので,巷では大河ドラマのタイトルを「新撰組!」と書いている誤変換が多数見られる。


変換してくれないのはわかるが大河ドラマのタイトルを記すのであれば,取り敢えず「新撰組!」は大間違いなのではあるけれど,そんなん,意味さえ通ればどうでもいいじゃんね(乱暴)。一説によるとNHKはずっと「新選組」だそうですね。


新撰組」と「新選組」とどっちが正しいのかというしょうもない話題はあちこちで散見されるが,これについては,一次史料に「新選組」も「新撰組」も両方出てくるのでどちらでも間違いではない(どちらが正しいとも言えない)というのが単純にして明快な結論なんだけど,そもそも「撰」と「選」の違いって何だったっけと思っていた矢先に,こんな便利な(?)サイトが。ちなみに下総流山は局長が捕まっちゃったところです。


流山的には「新選組」推奨らしくて,そのココロは表札だとか印鑑だとかが「新選組」なので元はこっちだったっぽいっていうのと,(ここからがポイント)“「撰」は、詩文や書物を、「定めて造る」という意味に使われる漢字”“「選」は当然、選ぶという意味である。”からだそうな。「新選組」は詩文や書物ではないから,漢字の意味に忠実になるなら,そうだろうね。


個人的には新選組でも新撰組でもどっちでもいいけど,「撰」の漢字の意味がわかっただけで収穫。情けないのは,学生時代に中国語で書かれた文章を読んでいた(音読は出来なかった)くせに「撰」の意味を忘れていた自分ですけどさ。「勅撰和歌集」の「撰」ね。


このWebにも書いてあるのだけれど,「撰」は「選」の旧字だと誤解している向きは多いだろう。かく言うわたしも今の今まで誤解していた(だから,学生時代に何をやっていたんだ)。思うにこの「撰は選の旧字」誤解のA級戦犯板垣退助氏(だっけ?)であると思われるよ。つまり,中学生ですら「撰」(それも己じゃなくて巳だか已だか)で書かされるかの有名な「民撰議院設立の建白書」。書物の固有名詞なのでそれが正しいのだが,意味から考えると「民選議院」の方が正しくないか?


しかしくどいようだが,「強いてどちらかに統一せよというのなら「新撰組」よりは「新選組」の方が適当でしょう」という程度のことで,当時は当て字は普通に行われていて漢字の意味がどうとかってのは全然気にしていなかったと思われる。人物の名前の表記すら(本人ですら)漢字表記がまちまちだったりする時代なので,漢字変換に対する認識が今とはまったく違うと考えられる(明治政府が当て字を禁じたらしい。がすぐには浸透しないもんだ。まして新選組が出来たのは幕末)。流山が言っているような,「局長や副長は“新たに選ばれた”という意味で「新選組」を好んで使っていたのでは」というのは,かなり胡散臭い。局長や副長の学が無かったという意味ではなく,意味の微細な違いによって漢字を使い分けるという発想がなかったんじゃないかと,推測される。音読みも一緒で意味もおおまかには外れていない(文脈からして誤解を生むことは少ない)以上どうでもいいだろう,と。もともと,と話は1000年以上前に遡るけれど,漢字というのは中国語から借りてきて使っているわけだけど,その前にことば(和語)はあった。和語では意味の使い分けをしていないのでとりあえず音を拾うだけで精一杯だったので「万葉仮名」なる話になった。その後いつどうなったのか,中国語では違う単語になる語(和語では同じ語)に対して訓読み(和語読み)するにも関わらず表記するときには漢字の意味の違いにあわせて漢字表記を使用することになった。それが現在まで続いて「用字用例辞典」が必要までになったけど,もともとは音と意味さえ通ればどうでもよく,その音と意味すらも曖昧模糊としているんだった。


さっきから突如として急激に眠くなったのでこの辺でリタイア。もう限界,今にも上瞼とした瞼が。(23:00)