道楽娘さんが平成10年1月の日記について書いていらっしゃるのですこし便乗。


“日記をつけることの一番の楽しみは、数年後に読み返すことだと個人的には思っている。Web日記もそのためにつけているようなもの。少し悪趣 味かも(笑)。”わたしも自分が読み返すのを楽しみとしている。自分の日記なんて自分以外の人間が読んでもおもしろくないんじゃないかとさえ思っているのだが(でも公開している/笑)。なので,たまにまさしくこんな話題を扱ったときなどに夜中に読み返し始めると,ついつい止め難くて数時間に及んでしまう。Webというか,パソコンのハードディスクの中にテキストデータで保管するようになった利点は,自分の書いたものであるにも関わらず悪筆でないので読み易いこと,検索ができること(自分の記憶が如何にアテにならないかが確認される),ある日突然全てが消滅してしまう心配はあるものの紙ベースのものと違って紛失しづらいこと。実際,大学に入ってから1〜2年分の書き付けは数度の引っ越しのどさくさで何処へ行ったかわからなくなってしまっている。その頃の日記というのはわたしの人生で「これだけは見られちゃなんねぇ」ランクのかなり上位に入るというのに。引っ越しの荷物を自分で作らないからこういうことになるのですが。


そんなわけで当時の日記を読み返すことは(少なくとも今現在は)できない。


センター試験の日程を思い切り間違えていたことからも明らかなように,わたしの記憶力というのはかなり信用のならないもので,例えばわたしの記憶に拠れば1997年の1月の20日の火曜日に京都に大雪が降り,その日新歓らいふの会議のあとでかなまるとふじもりが積雪数cmの中我が家にやってきたことになっている。しかし,今日指折り数えてみたところ1997年の1月20日はたぶん月曜日だ。月曜日に新歓らいふの会議があったとは思えないので,それ以外の要素のどこかを勘違いしていることになる。


前回「7周年記念日っていつだっけ」と書いたことに関して,わたしの記憶が確かであればカレンダ上は1月22日がお付き合い開始日になるのだけれど既に記憶は確かでないことが証明されている。それに,なんとなく気持ちの上では20日になってしまっている。実際にはこの日はかなまるが(ふじもりと)初めてうちに来て,着くやいなや黙って掃除を始めただけの日でしかないんだが。


余談になるけれど,そのころわたしはかなまるの人となりを全く知らなかったので,そこで「この人は片づけ&掃除が得意な人なんだ」という刷り込みが為されてしまった。これが実際人となりのほぼ第一印象に近い。後になって判明したことには,彼は片づけはけして(お世辞にも)上手とは言えない。それなのにわたしの中ではヤツは「片づけ担当」と認識してしまった。これはかなり不幸なことだと今でも思っている。


文句言ったり多少の不便を感じたりしても,自分でするよりかは遙かに楽(マシ)だからってのもあるんですが。一般に「最近カレシが家に来てないから片付いてないんだよね」というのは「片づけ担当が来ないから片付かない」という意味での解釈はされにくいものだとは思うです。近頃は,待っていても片付かないというのがようやく分かってきたので(日程に余裕がないとやってきても片づけてくれない),細々したことは自分でやるようになりました。とうとう蛍光灯の交換まで自分でしたときには,成長したものだと我ながらしみじみと感じ入りましたが,メモリはささってないし体重計も壊れたままだし段ボールも積まれたままだし,そんな感じ。


別に記念日はどうでもいいのだけれど(そもそも記念日全般にあまり固執していない),実際何日の何曜日に何があったのかぐらいはわからんとなんとなく気持ち悪い。このときその場にいたのはわたしとかなまるとふじもりしかいない。ふじもりはセンター試験の日程を正しく覚えていたので記憶力の点ではアテになるが,わたしにとっては意味のあるできごとであっても,彼にとっては単に雪が降っただけの日だから今更覚えていないだろうなぁ。再び話が飛ぶけれど,ふじもりにはなぜかこのように重要なところをおさえられている気がする。別にふじもりにけしかけられたわけではないのだが。相手の人生に於ける重要なところをおさえているのはお互い様かもしれない,とわたしは勝手に思っているのだけれど,そこで「すみれちゃんにふじもりをすすめたのはわたしとさいとうだ」という(重要なところをおさえていることを)主張をしてみても当人たちは「それは関係ない」と言い張る。


1月の20日なのかそれとも22日なのかということについて,かなまるは「正月3が日みたいなもんで,3日間ぐらい幅持たせておけば良いんじゃない」というナゲヤリな見解を示した。22日ってのは絶対的な日にちではなく20日の2日後という程度の意味。日付がいつかわるかについても人によって考え方が違うもので,例えば今ぐらいの時間であれば21日が「今日」で,22日の朝以降のことを「あした」というのが普通だ。睡眠を挟んで日が変わる考え方が理解しやすく日常会話で用いられていると思われる。ただ,当時の生活は途中で睡眠を挟まないままおてんとさまが上ってみたりそのまま1コマをさぼってみたりしていたので,どこで日付が切り替わるかは都度微妙,どこかで無理矢理変えてやらないといけない。で,その頃24時間で時刻を書き表し,0時で日付を変えることを覚えた。(だから21日の続きの22日です)。


今でも基本的にはそれを踏襲しているけれど,徹底している(いた)わけではない。今は人間らしい生活に戻った以上,12時間表記を用いて寝るまでは「今日の続き」でも問題ないので。ついでに,一週間は日曜日から土曜日までです(笑) でも週末単位で数えるときには不便なのでこれも屡々同じ週の土曜日のことを「来週の土曜日」などと表現している。


話は飛ぶけど,所謂「結婚記念日」って婚姻届を提出(受理?)した日のことを指すと考えていいのでしょうか?


つまり,そういうことなんでしょう。


あいのさとさんからパスティーシュに関する有益な情報。(01:15)