さらし者で思い出した。

しばらくメールの返事を滞らせている。メールもやたら長くなってしまうので,構えてしまってなかなか書けない。そうこうしていく内にたまっていく。溜めると更に書きづらくなる(時間の経過と共に話題も古くなっていく)。そのうち(この数日)さっぱり来なくなる。これは当たり前だがなんとなく寂しい。


去年だったかにあはづさんへのメールに,メールの返事を書くのは(たわごとを書くのよりも)緊張する,と書いたら,彼はメールの返事の方が気楽だ,と返事をくれた。感じ方は人によってさまざまだろうけれど,わたしだけでもないらしい


実際にどれぐらいの「不特定多数の誰か」が見ているかはこの際置いておいて,ただ,普段忘れていてたまに思い出して薄ら寒い怖さを感じるのは,わたしが無神経に書き散らしていることが誰かを傷つけたり誰かを不愉快にさせたりしている可能性もあるということか。メールだと相手が嫌がることに関する情報を幾らかは持っていることも多いけれど,日本語で書かれたWebページを読める環境にある人がそれぞれどんな背景を背負っているかまでは,何分想像力も至らないものだから,気付かずに地雷を仕込んでいることはあるんだろうな。わたしは物を知らないくせに知ったかぶりが好きだし,見てわかる誤字脱字や慣用表現の誤りはともかく,内容も著しく事実と違っていることがしばしばあるし(たとえば,NECの開幕直後のリベロや星取の話とか)。不快に思われないまでも「違うって,それ」ってツッコミは,されてるんじゃないかとね。


でも,(これが幸いなことであるのだが)それが直接わたしに返ってくることはほとんどない。不特定多数に対して受信のアテもなく発信する行為は,良い反応にしろ悪い反応にしろ,対特定個人よりも反応が相対的に薄い。だからわたしはメールを書く方がより構えてしまうんだろう。自分が書いた物に対して他人がどう思うかを気にしてしまう自意識過剰。ゆえにうやむや媒体を好み,好きなことを好きなだけ書く。無頓着というか無関心というか,知りたくないというか(逃げてるだけというか)。(23:58)