ほかにちかごろ読んだ本

劉香織「断髪」(朝日選書)。図書館で借りた。東アジア三国の近代化渦中に於ける断髪(男性の)をテーマにした本。筆者の修論の焼き直しらしい。「これが修論かよー」とまじでびびりました。わたしの周りにいる修士の人達って,みんなこんなにすごい感じでお勉強しているのでしょぉか……すみません,ふだん全然敬意を持った接し方をしていなくて。


内容は,個人的にはおもしろかったです。各々の断髪の過程やそこでの出来事,意味合いなんかを比較文化の観点で観ているのですが,興味のない人には全く何の意味も成さないだろうという娯楽本。


ラーメンマンのお陰であたしらの世代の人間には「中国人=あんな髪型であんな服」って認識がしっとりと形成されたわけだけど(「世代」とまで言い切るか?),当時のわたしに「民族」とか「政権」とか「王朝」とかって概念はカケラもなかったもんで,その認識に何の疑問も持たなかったもんだった。そのころ抱いていた<中国>のイメージって,ラーメンとラーメンの丼の赤色とあのうずまき模様とラーメンマン衣裳と辮髪と帽子に集約されるなぁ。それが<昔の中国>とすら思っていなかったもんね。ラーメンマンの辮髪の髪の残し方って,写真で見る清朝末期の辮髪とは違うよね。


そんな話は別に今気付いたことではないのだが(今だったらかなり天然)。今回の新発見としては,三つ編みというのんはどうやらモンゴル系民族(ここで「民族」の定義を追究しないように)に伝統的な髪型なのだそうで,と,そういうことを書いてあるのを読んだ瞬間に,ネイティブアメリカンの三つ編みおさげと結びついたのは,こないだ観た某映画が記憶の抽斗の浅いところに仕舞われていたからでしょうか。


ゆえに,これは言われてみれば確かに納得だったんだけど今まで気付いていなかったこととして,中国に王朝を立てた異民族で三つ編みをしていたのは何も女真に限ったことではなく,元王朝の人々(蒙古ですな)も頭の一部を剃って残りの髪を三つ編み(左右)にしていたのだそう。以前の大河ドラマ(「時宗」)では,フビライさんは三つ編みおさげではあったけど,禿は作ってなかったように思うのだが……気のせいかな,頭に何かかぶっていたかもしれんし。


お下げ髪の高校生(女子)あまり見かけない。寂しい。


そういう風に考えると,朝鮮半島とかその先の島国とかに住んでいる人は,三つ編みはしていないのよね。(丁髷で月代作ってたのはパクリではなさそうなので禿が一致しているのはただの偶然)。それが何なんだと言われると,まぁ,きっと,世の中にはそういう研究をしている人もいるでしょう。


†日本○○(ex.日本人,日本語)のルーツって折に触れて気になってしまうものだけれど

それって仕方のないことなのかなあ。でもさ,そもそも「日本」って何なのよ。今年のセンター試験の世界史Bの例の問題で,誤答選択肢に“明治以降に日本が獲得した初めての海外領土は朝鮮である”とかなんとかってのがあったんだけど,すっかり忘れているわたしには,この選択肢むちゃむちゃ難しかったです。えぇ。この選択肢が誤りであることは(答えが発表されているので)わかるのだが,じゃぁ初めての海外領土ってどこなんだろう。琉球改め沖縄県?(←ご存じの方はワタクシの無知を笑ってください)


近代でさえそんななんだから,古代のことになると,今の日本列島を中心に想像するのは,国の姿を大きく誤認しているような気がするんですよね。秀吉のアレはともかくとして,斉明天皇のころのあれは,詳しくない人間(つまりあたしのことだ)にとっては,浪漫という名の妄想世界です。例えばその頃半島の人間と島の支配階級の人間とが会話をするときに通訳をどれ程必要としただろう,とか。あ〜。でも,そもそもそういう場ではそのクラスの方々になると東アジア文化圏共通語(つまり当時の中国語)使ってたかもですね。うむ。きっとそうだ。仮に話せなかったとしても文書は共通言語だろう。ラテン語みたいなもん……とはちょっと違うか(01:30)