「ねじの回転」を保留して

マリア様がみてる」を読み始める。「ねじの回転」は持ち歩きたくなかったが他に読む本もなかった。あまり長いこと借りっぱなしにしてしまうのも良くないし(「窯変源氏」返しなよ)。


金曜日に最初の1冊目を持っていき,帰りの電車の中で既に読了,家に着いてから「マリみてラソン」が始まる。食事も摂らずお風呂にも入らず,(睡眠も取らず)朝の7時半までひたすら読み続けること計8冊。土曜の夜に再開し午前4時就寝。今日は昼過ぎから起きて珈琲一杯と伊予柑1つを挟みつつひたすら読み続け,現在頭から数えて13冊目まで読み終わりました。残すところあと3冊。漸くゴールが見えてきた唐か途中で洗濯をする余裕も出てきた。そろそろ日が傾いてきた。3冊ぐらいなら夜でも読めるので,ちゃんと買い出しに行かないと。


“そんなに夢中になるほどおもしろいのか”と思われる向きもございましょうが,そういうのとは違って……なんちゅぅか,一種の病気です。これで読むのに頭を使うのであれば疲れてくるだろうけど,読むことそのものにはあまり頭は使わないので,ついつい持久戦に持ち込んでしまうんだった。同じコバルト文庫でもミラージュになると厳しいかも。といっても,あれを十数冊まとめて読むという状況に陥ったことがないから断定はできない。人から一度に借りて読むのであれば同じことをするかもしれない。


細かなことで気になったことが1つ。2冊目だったか3冊目だったかで出てきた「目がつぶれそう」という表現,読んだ瞬間どうかと思った。(まぶしすぎて−,か,美しすぎて−,といった文だったけどもうわからなくなってしまった)。一瞬問い合わせしようかと思ったぐらいだったが,初版第10刷ということは,今までもこれからも,著者編集者校正校閲全てがOKと判断しているのだろう(気付いていないはずはない)。わたしも少し考えた限りでほかに的確な代替表現を思いつかなかったので,表現の自由的OKの範囲と判断できるんかな。こういうことに対してぴりぴりしすぎる(おもにテレビ・ラジオのニュース番組)のを見るとわたしは却って不愉快に感じるのだけれども(理由は色々),どうやら知らぬ間に,あの臭い物に蓋だか腫れ物だか的対処当たり前だという認識に浸かってしまっていたらしい。いかん。毒されている。