難しい本を読んでいると註がついてくるもので,

この註に飛ぶ作業がめんどくさい。横書きの本であればページごとの脚注が読みやすいのだが,マニュアル本の類以外ではページ脚注(勝手に命名)はあまり見かけない。紙を縦長に使う縦書きはページ脚注とは決定的に相性が悪い。


そうなると巻末や章末にまとめて註が載るのだが,掲載ページを探すのが大変。巻末といっても実際には奥付だのなんだのでかなり中途半端なところから始まることになり,後ろから探せばさくっとたどり着けるかというとそうでもない。また註の量が膨大である場合は,註だけで何ページにもおよび,註の中で該当の場所を探すのにも一苦労。一章につき100も註がある場合は,章内連番でもかなり辛い。そうやってようやくたどりついた註に書いてあることが単にそこの部分の引用元(書籍名と記載ページ数)のみだった日にゃ,いささかがっかりですわよ。


本文中に脚注記号がついていて註を見るとしょうもなくもおもしろいことが書いてあるというスタイルにあこがれを持っているのだが,註を振る作業が面倒なこともあり(実際には番号は自動で連番が振られるようですが),だいたい読む側が読みづらいんだから書く側だってめんどくさいわけで,実際にはなかなか脚注スタイルの文書には手を出せない。紙ベースのものであればまだしも,ましてやWeb日記でそれをやった日には。


Webの場合脚注番号からリンクで註に飛ばすことができるので書籍よりも参照しやすいはずだが,何故かわたしは,Web日記(その日付分の文章の末尾に註がつくパターン)を自分が読んでいるときにはリンクで飛ぶことはしない。(別の脚注ウィンドウが開くJAVAかなんかを使っているやつはクリックで飛ぶし参照もしやすいが)。それはわたしだけかもしれないが,少なくとも自分がそうなので,1日分の長さもスクロールを必要とする程度には長いことが殆どの自分のWeb日記に,<指でそのページを押さえておける>書籍よりも行きつ戻りつのしにくい脚注の利用は,差し控えている。……なんて,単にそういうタグ付けしながら書くのが面倒なだけなんですが。A4横書き(縦置き)の紙ベースのものであれば試みても良いのだが,手近なワープロソフトなどの操作法を知らないのでこれもよくわからない。かといって,わざわざヘルプと首っ引きになるほど強烈に望んでいるわけでもないし。


そういう意味で,「割り注」は偉いなあとしみじみ思うのだった。行ったり来たりしなくて良いから読みやすい。書く側(手書きでも組版でも)は,註の文字数をきっかり2で割らないといかんから大変そうだが。わたしが文章中にパーレンを多用するのはこの割り注と発想としては同じだけれど,割り注の優れているところは,本文との区別が視覚的に容易であることだろう。


いつだったかかなまるとなんかの歴史系の遺物展示に出かけたら,活字が置いてあったことがあった。その中に妙に縦に細長い活字があって,印刷物と見比べながら「これ,割り注用の活字じゃん,かっこえー。割り注ってすごいよね,中国人偉いよね(意味不明)」となんだか萌え萌えになってそこにべたーと貼り付いてしまったんだった。