前々回だったかに,公立高校の入試問題について書いたら

あいのさと嬢からレスポンスがあったので,戦ってみることに。


“おおざっぱすぎ”と言われたことについては,結論から言えば,あたしが馬鹿(無知で無教養)ってことなんですが,ええ,ワシントン海軍軍縮条約の年と内容をすっぱり忘れていたが為にロシア革命との前後関係がはっきりしなかったのですよそうですとも。両者の間には約5年の隔たりがあるのだが,五・一五事件二・二六事件の前後関係はわかっていてもそこに5年の隔たりがあることをついこの間まで知らなかったわたしには,5年というのはきっぱり混同するに足る間隔ってことなんじゃないでしょうか。近現代史に於いては同じ年内での整序すら時として必要であるというのに,5年。しかしそれがどうした。ちなみに“ロンドンの方”はシェアトップの教科書の新課程版には出てきません。今年の中3は入ったときはまだ旧課程なので旧課程の教科書と思うけど,めんどうなので(横着)そこまでは調べなかった。近現代史は詳しくなることはあっても減りはしなそうなので,旧課程の教科書でも同じなんじゃないかなぁとかとか(推測)。


ところで,その時書いていたワシントン海軍軍縮条約,日独伊三国軍事同盟,ロシア革命,日朝修好条規を古い順に並べるとか。”は出題内容の要約でしかなく,そのまま出題されていたわけではない。↓こんなの。


福島県 大問5 問5


次のア〜エは,略年表中のYの時期におこったできごとである。年代の古い順に左から並べて書きなさい。


ア 日本は,ワシントン会議により海軍の軍備を制限し,山東半島の権益を中国に返した。

イ 日本は,ドイツ,イタリアと日独伊三国同盟を結ぶいっぽう,ソ連との中立条約を結んだ。

ウ ロシアでは皇帝が退位し,レーニンの指導のもと,社会主義の政府ができた。

エ 日本は,江華島事件をきっかけに,朝鮮と日朝修好条規を結んだ。



略年表中のYの時期ってのは<1867王政復古の大号令>から<1945戦後改革の開始>まで。


この問題の難易度はさておいて,個人的には,こういった,一つの選択肢の中での時間の流れに幅があるものは,好きじゃない。これで例えば選択肢のウが「社会主義の国家となった」になっていると,俄然難しくなってくるでしょう。そういうこと。


あいのさと嬢は“この4つを年代順に並べることに一体何の意味が…と言いたい”と,この出題そのものをナンセンス仰るが,それはどうだろう。歴史の流れを大づかみに捉えることが歴史分野の目標であり,流れが理解できているかを確認する問題自体は大いに意味があると思うのだけれど? ただ,ロシア革命を入れた為に選択肢が統一性を欠いた印象があり,ひいては出題そのものの意図をもわかりにくくしているのかもしれない。例えば「日本の対外関係の流れ」に絞るとかね。大問の最後の小問だし,シベリア出兵や米騒動については出題していないのだからロシア革命を問う蓋然性にはやや欠けたかも。ただ,あまりにオーソドックスにしてしまうと,今度は難易度や過去問との重複(これは未確認)もあるので,そう簡単にはいかない。


全国統一問題にはならないだろうということについては,先の週末にかなまるからも言われた。理由は,あいのさと嬢も指摘しているように,“都道府県毎のレベルの差が結構あるので、”がネックなんですと。都道府県別に平均点が出てしまうことについて反発が多いだろう,とかなまる。配点を学校に任せることはできるけれども(配点を公表していなかったり,学校裁量としていたりする都道府県がけっこうある。わたしが高校を受験したときも配点は学校裁量とのもっぱらの噂だった),小問ごとの正答率を出してしまうと丸わかりだからなぁ。


作問そのものはレベルに差があろうがなかろうが可能ですがね。こういう言い方は良くないと思うけれど,子ども達の所謂お勉強レベルが自治体によって差があることと,問題自体の難易度は別物だう。相関があるならあるで,「問題のレベルが低い→生徒のレベルが低い」相関なら,却って問題あるんじゃないか。あと,難問は必ずしも良問ではない。難問が出される都道府県がいわゆる偏差値高い感じなのかどうかは,気にしたことがなかった。


最後。“それは時代の流れに逆行してない? 和歌山県だったか大阪府だったか、「学校毎に」高校入試問題作成するところも出てきたし。それは「特色ある学校づくり」とそぐわないと思うのね。いや、矛盾しないというか、実のところ入試一本化するしないと学校づくりはあんまり関係ないと思います(京大の経済学部論文試験くらいクセがある場合は、特色につながるのかもしれないが)。ただ、そやって入試まで特色づくりしている現状では無理ではないかと〜。”


うぅ,確かに。独自入試については考慮してませんでした。現状で,えーと,8県ぐらいかな(実績なのか予定含むなのかはわからん)。首都圏なのでやはり東京が話題になった。公立の所謂トップ校が始めたからね。地方出身者にとってはその名前を聞いても全然威光を感じないんだけどさ(東京は私立が絶対的に偉いのだとずっと思っていた)。


時代の流れが独自入試の方向を向いているのであれば確かにわたくしの考える「センター試験方式」はそぐわない。ただ,それと,「県別」を「統一」することとは関係ない。つまり,原則他県からは受験(進学)できないので,「都道府県の特色を出す」必要はまるで無いので(寧ろ学力レベルでの特色を見せたくないからこその県別維持という考え方に立つのであれば尚更)。


だから,突き詰めると,高校の入試は全部学校別ってことに,なっちゃうのだろうか。それはそれでありかもしれない。が,そうなると全国に公立高校がいくつあるんだという話になり,誰が問題をつくるんだという話になり,いっそ外注でもしてくれればうちみたいな会社は莫大な市場が目の前に出現することになってほくほくなのですが。うひひ。実際はそんなおいしい話にはならないだろうから,いっそ学力試験なしってのはどうだろう(内申+面接だけとかね)というところが普通科以外の学校を中心に出てくるかもしれない。或いは,独自に問題を作るのも学力試験なしもどちらもあんまりだってところが集まって統一学力試験+個別試験(面接とか)の2段階になってみたりして,って,それじゃ大学といっしょやん(笑) な感じ? 無理か。


今日のたわごとを10年以上経って読むとおもしろいかなぁ。おもしろくないかなあ。10年経てばそれなりに大きな変化はあるかしら。わたしが高校を受験したのは10年以上前のことで,その頃と今との違いは,出身県に限って言えば,総合選抜がなくなったことと,小学区制でなくなったこと。総合選抜でなければわたしはちがう(当時総合選抜だった)学校を受験していたと思うので(学区外なのはかわらんけど),大きな変化ではあったね。


それに比べると国公立大学は今の方式になってから随分と経つ。そろそろ本当になんかあってもおかしくない。もう一度大学に最初から入るつもりは今のところないので,どうなろうが自分には関係ないのだが。それをいうと高校も関係ないのだが。しかし中学・高校となると何故か(やたらと気の早いことに)自分の子どものころにはどうなるんだろうって思うんだよな。不思議。


そのように,自分の子どもの時代にはどうなるんだろうと想像を馳せると,自分が子どもの時と比べて年をとったことやこれからも(何もなければ)年をとり続けていくこと,ひっくるめて言えば時代が止まることなく動いていることを実感して遠い目になるんだった。戦前に生まれた人間がインターネットだの携帯電話だのの時代にもごくごく当たり前に社会の(田舎に於いては主要な)一員であることを考えると,まして自分がそれぐらいの年齢となったとき世の中がどうなっているのか,想像もつかない。想像もつかないような世の中に(何事もなければ)生きていかなければならないかと思うと,かなり恐怖(不安のほうが適切かな)を感じる。世の中の動きというのは自分一人の意志でどうにかできるものではないから。暗雲を感じようが光明を見ようが,避けることなく生きて行かなくてはならない。そんなとき,昭和のはじめに若くして服毒自殺した作家の心情も,なんとなくだけどわかるような気がしないでもないのだった。(00:17)