予想外に上の話題で盛り上がってしまった。

平日に休んでいると自分がどうしようもなく駄目人間かさぼり魔のような気がして,なんだか落ち着かないもので。一方で,延々とこの生活を続けたい(会社員したくない)気分にもなる。本当に落ち着かないのはそう思ってしまう自分が恐ろしいからかな。復帰できなくなるんじゃないかと思ってしまう。日本人が休みにわざわざ人の多い場所へでかけていって余計に疲れようとするのは何故だと言われるけれど,日曜ならまだしも平日の休み(夏季冬季)はやはりそのへんの恐怖から目を背けたいのではないかと。明日がまだ水曜日であと3日今週があるのかと思うとね。前向きに「今週は4日しかないじゃん」って思えればいいんだけどさ。


それははともかく,空の青い平日に空を見て外気に触れられるというのはいいよ。羨ましい。洗濯は好きな家事ではないけれど,爽やかな洗濯日和に,よそのおうちの南向きのベランダに干された大量の洗濯物やお布団や,あるいは遠くから聞こえるよそのおうちの洗濯機を回す音はなぜか好き。そこに健全な幸せの姿を感じるのね。いつもコンクリート製の屋内に籠もりっきりで窓にはブラインドがっちりなんて,不健全ったらありゃしない。


そういう「家庭」側で仕事をしている人達の生活を羨ましく思ってしまうのは,その実態(大変さ)を知らないからだろうとは思うけれど,でも,いい生活のように思えてならない。楽だからとか働かなくていいからとかってことではなく,自然なり人間なりにちゃんと根ざしたところで生活している気がするから。会社世界というのは,どことなしに現実味(土臭さともいえる)に欠ける。しかしながら事実それはそれで一つの現実世界だし今の世の中を構成する重要なパーツではあるので,結局の所,空間的には繋がっているけれども全く異なる世界がいくつもあり,人々はそれぞれで暮らしているという事実がそこには認められるわけで。それは会社員対専業主婦の二元化では説明できない。どちらがいいとかわるいとかではなく,好みの問題もなく。


わたしに専業主婦ができるかと問われると,会社員(や今の仕事)と同じぐらいには向いていないんじゃないかと思うんだが,じゃぁ何になら向いているんだと言われても。就職するときにも同じ様なことを言っていた。わたしはよく,考えても無駄なことを考えている。材料(知識・情報)がない状態で何を考えられるというのか。それは考えているとは言わない。


何故か話が暗い方向に走ってしまったけれど,今日はそんなわけでバスタオルを干してシーツを洗濯し,1か月半ぐらい前に購入したままほったらかしにしていた掛け布団カバーを掛け替えた。古い方は廃棄処分の予定。3年半あまり洗濯もせず使い続けていたので,今更洗濯したところで綺麗にはならないもの。


無印良品で買ったリネンのカバー(6800円←ばか)。ばさばさと広げると,草餅の臭いというか桜餅や柏餅の皮の臭いというか,つまるところ植物の香りがした。しあわせ。ごそごそした手触りもしあわせ。無印のリネンといえば,かなまるに随分前に買ってやったリネンのワッフル模様織りのバスタオルが,今は販売されていない(きっと生産もされていない)。そもそもリネンのバスタオル自体,綿との混織(混紡か)のものしかなくなってしまった。残念。自分用にも買っておけば良かった(それも2つぐらい)と思ってももう遅い。かなまるは「使っていないからあげるよ」といってくれるのだが。


綿が嫌いなのではなく,麻が好き。麻混ブラウスとか麻ジャケットとか,すぐに皺になって(アイロンかけてもとれなくて)厄介は厄介ですが。でも好き。麻の長襦袢とか麻の着物とか(夏物で)あるんだよなー。いいよなー。ほしいよなー。おこづかいためてかおうかなー。ん? “おこづかい”って何だ? 収入を全裁量できる幸せは一方で「おこづかいをためる」という言葉の持つわくわく感を損なうのだった。(几帳面な人は一人稼ぎのひとり暮らしでも「家賃」「食費」「電気光熱費」「水道代」「書籍」「衣類」「接待交際費」「貯蓄」「お小遣い」などと予算を立てているのだろうか。目下家計簿の必要性を感じないわたくしは月の収支をちらと確認する程度さ)。(17:06)