きのうの続きで,

「『一人っ子長女』のための本」の中で,わたしは当てはまらないと思ったのは,「一人っ子長女」が大きくなって家庭を持つようになったころの「一人っ子長女」とその母親との関係。十人十色と前置きはあるものの,例えば娘はいつまでも実家(母親)が最優先で,夫と母親とどちらがより好きかというと母親なんじゃないかとか,結婚後も自分の実家の近くに住みたがるとか(確かにその方が便利だけど),実家の近くに住んだ場合何かと交流がさかんとか。


或いは,仮に夫とうまくいかなくなって子連れで実家に帰ってきたとき,母親は娘が結婚する前に戻ったみたい+かわいい孫も独占ってことで,どっちかいうと嬉しい気持ちもある。なので,「無理しないでも,辛くなったらいつでも戻ってきていいのよ」って言いがちだったり,帰ってきた娘に「いつまでもいていいのよ」なんつって,きちんと夫と向き合わせたり今後のことを考えさせたりすることから目を逸らしがちだとか。娘は娘で,経済的に問題なければそれも楽だしー,とか。


後ろ半分は,確かにわたしの母親も言いそうなことではあるけれど,わたしは母親の近くにはあまりいたくないから。残念ながら,積極的に好きではない。仮に離婚したとして,両親と自分と自分の娘,じゃなかった,子どもと暮らすなんて,あまり素敵な想像ではない。実際には子どもが幼い場合にはそうせざるをえないこともあるかと思うけど。


そして,「一人っ子長女」は若い頃から,「将来親の面倒はわたしがみるしかない」という覚悟ができていて,しっかりした人生設計を持っていたり,着実な人生を歩もうとする人が多い,みたいなことも書かれていたけれど,わたしゃ,そんな覚悟はできていないさー。あははー。


他人と比べて自分が幼いな,と思うことが度々あって,わたしは,実家の大人達を取り巻く出来事を実は殆ど知らずに育ってきている。おうちのことがわかっていない,のです,つまり。それで,たまに大切な話を聞いても,その重要性を全く認識できない。そういうことに関する記憶力も洞察力も劣っているし,それはこの年齢になってもあまり変わっていないと思う。少なくとも大学を卒業する頃(4回生だったかな)の時点では,まるきり子どもだった。


幼いというか,幼いままでいたいというか。家庭・家族といった視点で現実や近い将来を直視することをとことん避けて何も考えないようにしている。たとえばわたしは未だに,「将来親の面倒は……」の事実から目を背けている。今の実家やその近くにもできれば住みたくないし。だからって近くに住まない場合の解決方法を考えるわけでもなく,ただ「どうせいつかはそうなるんだろうよ」とえらく不満な気持ちをだけはしっかり抱えて生きてきている。なので,赤の他人から無責任に,実家の近くに住むための仕事だの住まう場所だのについてとやかく言われる(薦められる)ことは,たいへん不愉快です。


いつまでたっても親離れ・子離れがお互いできていないことは,多分に漏れないと思うのだけれど。母親のことが嫌いなわけでもないし。彼女とわたしはよく似ていて,しかもどちらも幼いので,うまくいかないんだと思う。2人とも自分のことしか考えていなくっておまけに自分の考えを相手にきちんと伝えて分かってもらおうとしないのです。


しかし,孝行したいときに……なることわざもあるもので,かなまるの父方のおばあさまが亡くなったという話を聞くと,なんともはや。今のうちに大切にしておきなさい,とその度に言われる。親は先のことだと勝手に思ってしまっているけれど,父方の祖父母とは自分の成人式だったか伯父の13回忌だったか以来一度も会っていない(小学校一年生の時に伯父が亡くなったので,13回忌の方が一年早いか)ので,わたしの記憶にあるよりも何年分も歳を取っているだろう。死ぬ死なないという話ではなく,歳を経るごとに体力気力記憶力は低減しているだろうし,だから,仮に体調に著しい問題がなくても,その気になればいつでも会えるなんてのは幻想に過ぎないんだと思う。実家から車で30分かからないんだけど,なかなかね。


昨日おふとんに入ってそんなことを考えていて,わたしは父方の祖父母の年齢を覚えていないことや祖母は名前すらはっきりしないことに気付いてとてもかなしくなった。音はかろうじて覚えているけれど表記はあやふやだ。年賀状を含め公式(?)文書では祖父の名前しか見ないし,彼女のことを名前で呼ぶのは母方の祖母ぐらい(それも文脈次第)なので。当たり前かもしれないが,わたしに向かってはみんな「うしまどのおばあちゃん」と呼ぶし,そうでなければ母親は「お義母さん」だし父親は「おふくろ」とか「お母さん」とかで,祖父母は父親や母親に向かっては「むこうのおかあさん」とか言ってるし。うーん。まぁそんなもんでしょう。


父方も母方も同様に祖父母であり,車で30分というかなりご近所に住んでいるのに,同居しているのとしていないのとでこれだけ違う。盆暮れには顔を出していた幼い頃はそれほどでもなかったけれど,中学校に上がるころ,いとこ達との子ども同士のお付き合いが薄くなったころから,差が顕著になった。どんなに綺麗事を言っても「外孫」「内孫」や「もらう」の「やる」の話の方がわたしにとっては現実だ。わたしは入り婿(この場合養子縁組含む)を望む気持ちは全くない(ナンセンスだと思っているので寧ろ是が非でも避けたい)けれど,一方で,自分がどこかの家の嫁になるということも,予定には入っていない。なんせそんな可能性は全然考えずに育ったのだ。


近頃は,「お嫁さん」とか「お嫁さんをもらう」と言われることを想像してもそれほど抵抗感を覚えなくなったし(実際に言われるとどうかわからんが),「嫁」扱いをされるのも,案外平気なんじゃないかと想像するのだけれど。最も不快なパターンとしては,結婚して妻の姓を名乗って,それでもわたしが夫の両親との方がより親しく付き合った場合に「嫁にやったんじゃない」だの「とられたみたい」だの,ひいてはわたしの子どもを「<うちの孫>なのに」云々って言われることだな。ってことは,夫よりも母親の方が好きなのか,わたしも(笑)。ちがうって。悪く(敵のように)言われたくないんだよ,夫やその両親を。なんてことを書くとわたしがどういう環境で育ったのかあらかた察していただけるかと思いますが(苦笑)。


両方とも等しくお付き合いというのは,難しいかな。それだけ自分が独立・自立していなくてはならないというのもあるし,それぞれの事情で,分け隔てするつもりはなくてもどちらかに近くなることもあるだろうし。現代に於いては,どちらの姓を名乗るかということではなく,交流が密である一方に「そっちの家の人」っぽくなってしまうんかな,とか。みんなが少しずつがまんしたり譲り合ったりしなくてはならないんだと思う。すげーおとなのつきあいだ。こんなことをうだーうだーと書いているわたしはまだまだ子ども。自分の子どもが欲しいという願望はあるけれど,結婚願望はやはりあんまりないかなぁと思う。


なんだか随分話があっちこっちに行ったけれど,昨日はそんな本を読んでみたり訃報を聞いてみたりで,そんなことを考えさせられた一日でした。次の日(きょう)はさらにおこさまでひよひよでずぶずぶで投げやりになったわけですが。訃報を聞いてまた性懲りもなくちょびっと泣いてしまったのだけれど,こういう状況で泣いちゃう自分ってのがこれまた馬鹿馬鹿しいよね。結局自分のために泣いているんだから。何が哀しいって,一度も会わないまま,そしてこの先もけして会えなくなってしまったこと。一回生のときにおじいさまが亡くなってから,昨日までの間にかなまるの祖父母は4人とも亡くなってしまった。もう誰一人この世にいない。わたしはかなまるのおじいさんにもおばあさんにも一生会うことがない。かなまる個人と交際しているからってかなまるの家族と付き合っているわけでもその必要もないのだけれど,少しぐらい話をきくことはあった。うちにいたときに電話がかかってきたこともあった。そうやって微かに存在を感じ取っていた人達が,直接お目にかかることも話をすることもないまま,それこそ名前も顔も知らないまま。(23:13)