伯父と叔父。
未だにその違いがよく分からないわたしは,“若い世代のリテラシーの低下”かしら。わたしに嘘八百を教えるのが得意な母親から「父方が<伯父>で母方が<叔父>だ」と聞いたのか,或いはどこかでそのような記述を見かけたのか,それで混乱してしまっている。きょうだい関係の上下で区別するのが正しいのですよね? この文脈だと。
しかし,きょうだいの配偶者を指す場合には配偶者の実年齢は考慮されないのでは? なので,「母方の叔父」が母の妹の配偶者であった場合には必ずしも母親よりも年下とは限らないのでは。例えば,わたしの父方の伯母は父よりも2級年下だが,父の兄の配偶者なので「伯母」だと思うんだけど。違う?
と,辞書も引かずに思い込みで書くのが良くないのですよね。
時に,鈴木氏は“生まれて初めて「刺戟」や「恢復」といった表記を目にしたときや、歴史的仮名遣いの文章を読んだときは、「これって間違ってるんじゃない?」と感じたはずで、”と書いているけれど,残念ながらわたしはその感覚を持たなかった。実際に目の当たりにする前に,昔は今とは違う漢字や仮名遣いだったという知識を,持っていたんじゃないかしら。なんつぅか,無条件に「こっちは昔の書き方」って思った気がする。
と,記憶を辿ってみると,記憶にある最初の「旧漢字で書かれた印刷物との遭遇」は父親の書棚に挟まっていた文庫版の「坊ちやん」で,新漢字・新かなに改められたものを読んだ後で「おとうさんも持ってるんじゃん」と思って手に取ったのだから,小学校の2年生か3年生かそのぐらいではないかしら。冒頭すぐの「小學校に居る時分」でびびりましたが。ルビ振ってあったんだけどルビが旧仮名遣いで。
わたしの性格から考えると,自分が習ったものが正しくてそうでないものは間違っている,と思いこむと思うのだけれど,どうしてそれを「間違っている」と思わなかったのか。しかし,夏目漱石なんつぅ明治時代の大人が書いている小説(児童向け文学ではなく)なのだから,自分が読んだ方は子ども向けの改訂版だと思えたのかもしれない。そして父親に尋ねて,父親が,それが昔の漢字・仮名だということを教えてくれたのかもしれない。
或いは,うちにあった小学館だったか講談社だったかの「少年少女日本文学全集」では,トビラの見返しぐらいの場所に必ず「歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに改めています」云々との注釈が入っていたから,それを見て,世の中には「歴史的仮名遣い」とか「旧漢字」とかが存在することを知っていたのかもしれない。
しかし。何度も書いているけれど,漢字の方はともかく,仮名遣いが違うのは読みづらい。このあいだ「漢字は旧漢字のままだけれど仮名遣いは現代仮名遣いに改めている」風を装った文章(いつ書かれたものかは不明)を見かけたけれど,総ルビだったこともあって読み易かった。
ほとんど手書きをしなくなった今では,画数の少ない字を用いることのメリットはあまりなくなったけれど,かといって,知らない字を見たときにパーツから読みや意味を推測する,などという悠長なことを現実世界で行うことはないので(辞書引こうよ),字源だの字義だのがどうこうといって旧漢字を支援するのも,またナンセンスなことでもあるように思う。だがしかし,それなりに旧漢字らぶな人間としては,マシンのパワーも上がった現在,旧字を使いたかったら使える環境が最初から(というか,普通に,というか。とろんとかちょうかんじとか入れなくても)搭載されていればいいのにと思うことはある(そうすれば,うちの学部の卒論も「原稿用紙50枚手書き指定」から解放されるだろう)。でも,今の文字コード体系だと,同じコードで異なる字を充てられないし,何より,旧漢字使おうにもディスプレイの解像度が足りないし。なかなかうまくはいかないだろうな。