ハプニング(2)


29日の朝8時半,突然バンっだかボンっだかドンっだかというえらい大きな音が。最初わたしは何かの爆発音かと思った。その次に「ピストルの発砲音というのはこんな感じなのだろうか」とえらく物騒なことを想像した。隣が某国大使館だったからではない(そのことはそのときは失念していた)。


そうこうしていると隣室のこんどうさんが「ただの停電だよね」と声をかけてくる。ただの停電。ふと室内の時計に目をやると,確かに時計が落ちている。おやまぁ。


そこで落雷だったのかしらと考えた。前日から雨季に入ったという情報を聞いていたから。昨年7月にバンコクを訪れた時に遭遇したスコールが脳裏によみがえる。いや,実際は外出(ウィークエンドマーケットに行こうかと思っていたので)を諦めて二度寝に戻り,ろくろく外も見なかったんですけどさ。路地なんて川よ,川。じゃぶじゃぶ。


それはともかく。ところが,光っていないしそれきり音もしないし雨もこない。んー。じゃ,やっぱり爆発音? で,なぜ停電? 不可解なまま。そのとき食事中だったかなまるは「周囲では何かが爆発した言っていたけれどみんな平然としていた」などと言う。ごとうさんはそんな音にはびくともせずすやすやとおおとのごもられていた。


帰国後くん・けーからメールで「たぶん落雷だと思います」と。


30日夜。ベトナム料理一軒家レストランを出て,タクシーを拾いに大通りに出るためにパッポン,ナーナーに次ぐ歓楽街だそうな通り(名称失念)を抜けようと角を曲がると,なんとそこにナマ象が。


LAND OF ELEFANT, THAI. しかしわたしは今までナマの象は見たことがなかった。動物園で見たことはあったかもしれないが覚えていない(今の今まですっかり忘れていたが,ついこないだ3月の終わりに浜松市動物園で歩くナマ象を見ていた。いやはやほんとにすっかり忘れていた)。バンコクには農閑期に田舎から出稼ぎにやってきた象がしばしば出没するという話は以前から聞いていて,運が良ければ会えるかもしれないとくん・けーから言われて密かに期待しつづけていたのだけれど,今まで2度のタイ訪問では,運悪く会うことが叶わなかった。


尤も象の出稼ぎはバンコクにとって社会問題であり,いちおう条例では象のバンコク流入は禁止されているが,それでもバンコクから象を完全に閉め出すことには成功していないとか。


そんなバンコク市民および行政の苦悩は知らず(それでも出稼ぎせざるを得ない象の苦悩も知らず),ナマ象を見たわたしは大いにはしゃいだ。それは何歳ぐらいかわからないけれどもとにかく子象で,高さがわたしの身長ぐらいだっただろうか。大人の象は眠そうな眼をしているものだが,子象の目はくりっと澄んでいた。「ナマ象! 子象! かわいい!」例によって童心に返るハタノ。もうもう大はしゃぎ。


出稼ぎの象はもちろん象単体で象自身の意志でもってバンコクまでてくてくしてくるわけではなく,当然人間もついてくる。その人間が,象のえさをビニール袋に入れて売っている。ひとつ20B。浜松市フラワーパークの「水鳥のえさ100円」みたいなものである。こんどうさんとそれぞれ1つずつお買いあげ。さっそく袋をあけると,奈良公園の鹿のごとく,それが自分に与えられるえさだと知っている子象は,こちらを向いて鼻をくにっと持ち上げておねだりをする。奈良公園の鹿と違うのは子象が一頭しかいないことだ。小学校6年生の修学旅行の際に奈良公園で鹿のえさを購入したわたしは,押し寄せてくる鹿の大群に半泣きだった。


そんなことはともかく,そのえさを一つとって差し出すと,子象は器用に鼻を使ってわたしの手からそれをもぎとり,口に入れてむしゃむしゃ。すぐさま「まだちょうだい,まだ持ってるでしょ,それくれるんだよね」と鼻を持ち上げて眼をうるうるさせておねだり。また一つ,つる・ぱく・むしゃむしゃ・おねだり,もう一つ,つる・ぱく・むしゃむしゃ・おねだり,それを5〜6回繰り返すと象は満足して……こんどうさんの袋めがけてまたおねだりを始めるのだった。こんどうさんにえさをもらってうきうきむしゃむしゃしている子象の頭の毛を「象毛だー♪」と喜んでぺたぺた触るガキ一人(笑)。


同じ通りでさらに2頭の象に出会った。どちらも大人の象だった。きっと親象だ。2日の夜にもWTCの前に象が現れた。後者はかなりの大通りなのだが。彼らの足取りは自動車よりも遅いんじゃないかと思う。東北地方あたりから来るのかしらと勝手に想像するのだけれど,その道のりはどれほど遠いか。象……。


2日朝。お腹を壊した。それほどひどくはなく,日本でもたまに(特別な理由もなく)起きる程度ではあったのだが,旅先ということ,南の国と消化器系の不良とのセットにあまりよろしくない思い出があること,その日バンコクまで3時間半の長距離移動が控えていることなどから,手を打った方が良いと判断。ホテルのフロントで薬をもらうことを試みる。インフォメーションのお姉さんに,「いくすきゅーずみー,あいはう゛ぁすとまっくえいく……あー……おん……うぇる……ふろむ……(中略)……とぅでいもーにんぐ」


一緒に朝食を摂っていたくん・けーはわたしを甘やかしてはくれなかった。「それぐらいは一人で行ってこい」と突き放し,とっとと部屋に戻っていった。かなまるも当然のようにくん・けーについていく。どうせ腹痛薬をもらうだけ,わたしだってそれぐらい一人でできると思っていた。


ところが。つたない英語(以前の“眼で訴え大作戦”)で「薬をくれ」と言ったのだが,おねぃさんに断られる。「医者にみてもらってからにしてください,薬だけを出すことはできません」らしきことを英語で言われた。で,それほど大げさなことでもないので街の薬屋で買うか,と思って「のー,さんきゅー」で部屋に帰る。


が,それからの展開がどうしてそうなったのかは覚えていないのだけれど,何故か部屋に戻った途端直前の「街で薬」を自分でも忘れてしまい,なんだかんだの内にかなまるにフロントに再度交渉(その時点ではホテルに医者が常駐していると思っていた)を頼んでしまったが最後。あれよあれよという間に,


病院に行くことになってしまった。


ホテルの車を出してもらい,車でほんの3分ぐらい。ご近所。場所柄外国人観光旅行客向けと思われ,小ぎれいでスタッフは一応全員英語を話す。ホテルのチェックアウトタイムも迫り,ほかの面々には伝言もなくホテルを出てきたことや(病院の外来というのは得てして待ち時間が恐ろしく長い),パスポートも現金もクレジットカードも置いて着の身着のまま身一つでやってきたことなど(通訳として現金や「旅の会話帳」を携えたかなまるが付き添ってくれていた),不安材料はありつつ,隣の白人1歳児の仕草がたいそうかわいく心和んでみたり。


30代半ばぐらいのなかなかにイケメン(死語)の男性医師に診察されて,結局のところ「ま,なんか食べ物にあたったんでしょう。薬だしとくから飲んでね」。出された薬は腹痛薬,抗生物質,ポカリの素。支払い額合計490B,内初診料250B。ホテルに戻ってくん・けーに薬を見せたら,“最もポピュラーな薬達”とのことだった。タイでは抗生物質が市販されているのだそうだ。確かに,あの程度の腹痛(というか下痢ね)はタイ人でもたまに起こすらしく,その度に病院に通わなくてはならないのでは患者も医者もたまったもんじゃないもんね。ああやって病院に行く余裕があるぐらいの軽症ならまだしも。


英語がさっぱりできないわたくしですが,2度目の南国腹痛でさすがに「下痢してます」という英単語は覚えた。すとまっけいく,と伝えても,結局は「だりぃ?」と聞かれ,それに答える必要があるので。あと聞かれたのは嘔吐や吐き気はあるか,とか,昨日何を食べたか,とか。例によってわたしは完全日本語対応,かなまるが全部通訳。かなまるの英語力はそこまで高いのか? ドアが開きませんは「I cannot open the door」の方が正しいそうですよ(weじゃなくて)。まぁね。心配&お手間をおかけします,毎度毎度。


お腹の方は本当に大したこともなく,その日一日(3回)薬を飲んだら治った。良かった。帰国してからこんどうさんやかなまるがそれぞれ腹痛なり発熱なりを訴えているのが心配だが,どちらもタイとは関係ないようで……たぶん……そう思いたいな……というか。(1:21)