おとといだったかインターネットの網の目をあてどもなくさすらっていたら,

或るドラマのアンソロジー同人誌を今度の夏コミで出す(抽選に通ったら),とやらの話が目に飛び込んできた。アンソロジーに同人誌に夏コミと三拍子揃ったら,指すものはアレしかない。そう,アレですよ,アレ。


“あ,やっぱりやる人いるのね”というのが率直な感想。予想はしていた。


最初にそれを見たときわたしの目が色めき立ったかもしれないことは否定しない。興味を抱いたことは認めよう。読んでみたい気はする。しかし,金を払ってそいつを買うかというと,どちらかというと阻害要因の方が多い。夏コミに行く気はもとよりないので,まいぺんらいかーなのだが(でも限定少部数通販予定とか/笑)。この“まいぺんらい”はちょっと用法違うか(直訳すると無問題なんだよね)。


ここから先はアレに興味がない人は読み飛ばしていただければと思いますが(つまり今日はここまで),わたくしを阻害する最大の要因は,参加者の殆どが漫画だったことだった。


なんとなく,漫画の方がダメな気がする。敷居が高いというか閾値が高いというか。


その理由をつらつら考えていてはたと気づいたのだけれど,わたしは商業媒体で作品を出していない人が描いた漫画の同人作品を読んだことが一度もない。つまりは食わず嫌いなわけね。故に以下は食わず嫌い理論(またの名を机上の空論)です。


食わず嫌いの理由は,漫画の方が構成要素が多いことか。何より小説に比べて視覚に訴えるので,絵がダメ(人物の顔が魅力的でないとか空間が著しく現実の物理法則に反しているとか)だとそれだけで受け付けないんじゃないかと危惧される。そら,実際にはみなさん上手なのでしょうけれども,幾らうまくても「あたしのイメージとは違うんだったら!」ってなるとそれでおしまいっちゅぅのもあってね(“イメージと違う”は小説でも十分に起こりうるけれど視覚の方が耐え難い気がする)。特に今回のように実写映像が元ネタの場合は,似顔絵観点も含まれてくるわけで。


もちろん,漫画には漫画のいいところがあり,わたしも漫画は大好きなのだけれど,あくまで食わず嫌いの意見ではあるけれども,わたしにとっては「合わないかも」のリスクをしょってまで漫画を求める(視覚に訴えかけてもらう)必要性が薄いらしい。


それで思い出したのが,いつぞや男子に語って後味の悪い思いをしたという三次元やをい論。そのときには気づいていなかった(のでうまく説明できなかった)けれど,どうやらわたしはそもそもヴィジュアルをイメージしていないようだ。


以前(学生時代だから何年も前だ)あいのさとさんが彼女のWebページで何度か,何を以て思索するかといったことを話題にしていた(「るいとも」企画にもあったっけ?)。彼女は確か文字か音(言葉)かと書いていたような記憶がある(違っていたらごめんなさい)。わたしも音声化された言葉で思考する。頭の中で,文章を音読するような口調で,考えている(ただし文章としてアウトプットするときには頭の中の文章そのままでは出てこない)。


そして妄想も同様らしい。


同人作品に絵があるとダメというのではなくて,もともと絵を想定していないから絵はなくてもいい,ということ。それであれば,不安やリスクがあるのに敢えて漫画同人作品を買うという結論には達しにくい。そうして食わず嫌いが続いていくわけだ。


といっても,そもそもお金を払って同人作品を入手・閲覧したことが一度もないんだけどね。小説はネットで(その気になれば)読めるから読んだこともないとは言わないけど。


というわけで,誰か小説アップしているところを教えてください(←自分で探せ)。


ところでわたしの嗜好に三次元が多いのはたまたまで,別に主義ではない。確かに,以前書いたことがあるように,オリジナルが小説や漫画であるものを小説や漫画で創作し発表する行為には,やや引っかかりを感じるのだけれど,それと自分がやをい的萌えを感じるかどうかは別の話。妄想力をかき立てるような作品に出会えば,あっさり宗旨替えをする可能性は十分にある。


いずれにしてもオリジナルやリアルからは遠く離れ,観念の世界で記号を弄んでいるような感覚です。


これらの感覚や考え方が万人に共通する物ではないだろう事は敢えて書く間でもなく。


もう一つこれは完全に余談だけど(今までもじゅうぶん余談だけど),“実在の人物じゃありませんフィクションのドラマのキャラです”+“俳優さんその人ではありませんドラマのキャラです”ってのは或る意味無敵だなあと思った。が,それはわたしの勘違いにすぎず,どちらかというと,どちらにも気を遣わなくてはならないものなのかもしれない。


ただ,もとよりカリカリする人はそんなにいないんじゃないかとは思うが,カリカリしないのが肝要で,上に述べたように,結局のところ抽象化・記号化された「キャラのイメージ」で遊んでいるだけじゃないかと,わたしなんぞは思う。その手の人たちがいることはあっさり無視しておくのがよろしい。そして,近づいても別に楽しくも何ともないので近づかない,と。


ここで思い切り話が飛ぶけれど,あちこちで「犬」呼ばわりされている某氏。<月代似合わない>ネタや<鳥>ネタと同じく,そのうち劇中でネタとして用いられるのではないかと密かに楽しみにしている。(23:27)