使役表現って難しい。

数日前に「寝させないぞ」か「寝せないぞ」かという議論をしたもので,それ関連でかなまると。結論としては「寝かさないぞ」が最も誤解されにくい表現ということになった。


「寝せない」は誤り,「寝させない」は誤りではないけれど別の意味にもなる。


「寝かさない」は正しいが「寝かせないぞ」はおかしい。


使役表現や使役表現の否定が難しいのは,その動詞が,誰に何を使役しているかとか,誰のどんな行為を否定しているのか,というのがわかりにくいことにあるようだ。とくによく使う動詞の場合,素になる動詞自体が異なっていたり。


「寝かさない」は「寝かす」の未然形+「ない」。自分が相手を寝かすという行為(寝かす)の否定で,寝かすのと逆の行為な感じ。


「寝させない」は「寝る」の連用形+「さす」の未然形+「ない」。これは,ひとつには,誰かが誰かを寝かすという行為(寝させる)について,第三者が行為者の行為を否定。たとえば,子守歌を歌わないようにしてみるとか。


それだと,ちょっと意味合いが違ってくるけれど,「さす」の意味を使役ではなく許可と取ると,「寝かさない」と同じ意味になる。つまり,「今日は眠いからもう寝させて」の「さす」と同じですね。「もう寝させて」「いや,寝させないよ」……ちょっと変?


ところで,わたしは使役の意味には「す」ではなく「さす」のほうの助動詞を使ってしまう傾向がある。「れたす」ならぬ「せたす」表現。だから,「寝させない」の1の意味は「ねささせない」と言ってしまうわけです。


なので,<群ようこ氏に着物を着させる企画>は誤りでないか(<着せる>が正しい)と思った(のではてなだけ直した)けれど,後でよくよく考えてみるとこれも「着させる」でも良いのではないかという気がしてきた。その根拠はよくわかりませんが。


ちなみに「寝せる」がおかしいのは,下一段活用では「す」ではなく「さす」を使うから。他の下一段活用の動詞がなかなか思い浮かばなかったのだけれど,「掛ける」とかね。