昨日&今日の未明の日記(?)はあまりに長すぎますね。
約一名ながら「長くてもいい」と言ってくれる人もいるので,長さだけを問題にするつもりはないのですが。
垂れ流しだよなあ。手で字を書くよりも早いので余計たちが悪い。
固有名詞の羅列は控えます。
その絡みで,「はてな」とここ(どこ?)を内容で分けようかという案も一瞬だけ出た。最近調子に乗って固有名詞の羅列をしているのは,そういう話題でも読んでもらえる可能性があるからで,わたしも一応読んで欲しいとは思っているのよ(だるいぐらい長いのは要努力にしても)。直接の知り合いの人々の多くは野球にもドラマにもバレーボールにも着物にも興味関心無いでしょうから(最後のは「はてな」でもだめなんだけどね)。一方,「はてな」みたくどんどん見知らぬ他人の日記を読み合うコミュニティでは,個人的な話題というのは,ちょっと出しにくい。広めの社会で共有される話題について意見や情報を交換する場であるように思うので(限定してしまうことはないけども)。
とか言ってると「土鍋ごはん」とか「コロッケ」をきっかけにリファランスがあるのが,おもしろいところではあるのだけれど。
知り合いでもそうでなくても,ほかの人の日記を読んでいると,どうしてそんなに短くて済ませられるのかと不思議。わたしは,良くない(読みづらいとか散漫とか)とは分かっていても,削れないので。
それは短い文/長い文を書けるか否かということではなく,見聞きしたものに対して自分が思ったことや考えたことを,どうやって処理しているんだろうと。話し相手がいるんですかね。それとも,自分の心の中だけで整理できるんですかね。
このところとくに,インプットとアウトプットのバランスが悪い。もともとわたしにはそういう傾向があるわけですが,入ってきたものは全部書くなり話すなりしないと気が済まないのね。例えば記録という点で考えればテレビドラマにしろ野球の試合にしろ,放送番組そのものを録画して残しておけばそれで済むしその方が精確なのに,なぜいちいち日記に書くか(そしてビデオは録っていない)。どうせ大した感想や深い考察があるわけでもないのに,なんで公開するか。
こう見えても一応最低限のレベルで世に出すに耐えうるか否かというジャッジはしていて(随分甘いけど),そこで否決されるレベルの,ほんまにどうしようもないものが,ローカルのハードディスクに掃き溜めを作っているわけです。
ほっとくと,一日中書き続けることもしかねません。