よしき氏のはてな本に拠ると,

はてなダイアリー」の利用者を生まれ年西暦10年単位で区切った場合,最も多いのが1970年代生まれ,次が1980年代生まれなのだそうだ。だいたいは想像通りではあるかな。


と,いうことは,1977年生まれとなるとちょうど両世代の中間に近く,とりわけ利用者数が多いのではないかと推測される。


オフラインでの知人ではない人の日記を読むときにその人の年齢を意識することはないのだけれど,同じ年に生まれた,と明記している人を見ると,“同い年なんだー”と無駄に驚いてしまう(事前に年上なり年下なりと予想していたわけでもないのに)。


考えてみれば,義務教育を終えてから早12年。歩む道はそれぞれで,たまたま同じ年に生まれたからといって,それは一つの指標でしかない。同い年だから○○,とまるで思想や能力や生活や趣味嗜好が同じだろう(同じでないにしても理解なり想像の範疇に収まるだろうと)と考えてしまうことは幻想なのだが。


別にそれは悪い意味ではなくて。


少し前にたまたま見ていたテレビ番組で,26歳の(つまり同級生ないしプラスマイナス1学年程度の)結婚披露宴プロデューサーの女性が取り上げられていた。テレビに出るからには“カリスマ”の冠を戴く非常に有能な人として紹介されているわけで,それを見たわたしはちょっぴり劣等感を抱きつつも,一方で,わたしもわたしができる範囲のことを投げやりにせずにきちんとこなそうと,一瞬だけ(一瞬だけね)自分の仕事に前向きな気持ちにもなれたものだった。


そんなことはともかく。


折しも,先だってかなまるがアンテナに追加した「似非と現実の日記」さんのところで,“1977年生まれ同盟@はてな”なる話題が出ていて,やっぱりちょっと驚いてしまった。ここ数日とはいえ毎日興味深く読んでおり(「日記」に対する考え方および日記の長さに敬服),で,「え,同じ歳なん?」ってね。


劣等感の塊であるわたくしはついつい僻みっぽくなりがちではあるけれど,同じ年に生まれたからってそれ以上でもそれ以下でもないことは肝に銘じなくてはとは思うけれど,逆に言うと,同じ年に生まれたというだけのつながりで見たときのいろいろな人たちの差異を見られるのは,おもしろいんじゃないかと思う。


しかし。わたしの(オフラインの)知り合いは当然1977年生まれが多いはずなのだが,「はてなダイアリー」を使っている1977年生まれとなると,不思議と一人も思い当たる人物がいないのだった。(そもそも周りのはてな人口少ないし)。


まあそんなわけで。たかくら嬢から27歳の抱負を訊かれてつらっと考えてみるに,さしあたって必要とされているのは体力かな,と思っております。ひきかけで止められず毎度毎度38度クラスの発熱を伴う風邪にまで進行するのは(そして3日寝ないと治らないのは)何かと不都合が多いので。


銀次さん見習ってバンチで踏み台昇降? バンチ買ってないから差詰め「ゼクシィ」かしら。(2:14)