かなまるから小谷野敦「性と愛の日本語講座」(ちくま新書)を借りて読み始めたが,
本を手にして中をぱらっとめくったときに「読んでない」と断言したにもかかわらず,読み進めてみると知っている話がちらほらあり,だからきっとこれは読んだことがあるのだろう。かなまるから借りたのか図書館で借りたのかはわからないけれど。
あらかた忘れているので半斜め読みぐらいでもう一度読もう。
この本の冒頭,まえがきにかえて筆者は自分の夫や恋人を「パートナー」と呼ぶ習慣に対して「気持ち悪い」と書いている。
“一九九〇年代に入ってからだと思うのだが、自分の夫や恋人を「パートナー」と呼ぶ女性(特にインテリ)が増えてきた。最近は男でもそう言うのがいる。これが私は個人的に気持ち悪い。”(p.7)
筆者が気持ち悪いと感じる理由やこの使い方を「誤用か和製英語」(上掲書)とする根拠は本書を読んでいただくとして,えぇとまぁ個人的にはと言い始めるとそれこそ個人の数だけ思うところありましょうが。
かなまるにいつも言われるのだけれど,新しい言い方が生まれ・広がり・定着するのにはそれ相応の理由があり,必然である,と。そういう点に於いて,「正しくない」言い方はない,と。
慣れない言い方に戸惑う・馴染まない,とか,好き/嫌いとかは,当然使う側にはあるけれど,それとこれとは別の問題なんだそうだ。そりゃそうなんだけどね。
で「パートナー」にもそれなりの理由があるのだが,折しも「浮遊研究室」VOL.135に【ご主人と奥さん】という話題が採り上げられているので興味の或る方はご一読あれ。
個人的には,「パートナー」という言い方には(読者諸兄の賢察通り)うさんくささを感じるので自分が使うのには些かの抵抗感があるけれども,見ていて気持ち悪いとか不快であるというほどでもないので,そういった表現に遭遇したときには物珍しさからくるちょっとした戸惑いはありつつもそれを除けば特に気にはならない。ということに今はしておこう(今まで考えたことがなかったので)(2:18)