改めて書き出すとその度に再認識しているが,音楽から離れて随分になる。


演奏するのにはそれなりの場や機材が必要だが,聴くのは今でも比較的簡単にできる。しかしそれをしようとはしない。もともと聴くよりも先に自分が演奏する方から入ったために,「聴くもの」ではなく「演奏するもの」という認識の方が強いのかもしれないが,しかし,演奏だって,したければ今でも幾らでも手だてはある。特に欲求がないということは,もともとわたしにとって音楽というのはなくてもいいというか,必要な存在ではなかったのかもしれないな,などとも思う。こんな風に思う日が来るとは,幼い頃は想像もしなかったけれど。いささか学業成績が良すぎたのも音楽から離れた一因ではあろうが,しかしピアノを習うのを辞めたのは,受験なり勉強なりがせっぱつまったからでもなんでもないから,それが主たる理由であったとも思えない。


しかし,これは以前から何度も書いているように思うが,きれいに合ったときには身体が震えたもので,演奏に感動できる身体は持っていると,思うんだけどね。


この前宝塚歌劇団のドキュメンタリィ(Nスペの再放送)を何気なく見ていたとき,初舞台生のラインダンスがぴしっと決まった瞬間に背筋がぞくっとした。こういうことは不意打ちで時々起こる。なんだかえらいものに遭遇したとき,恐怖でなく身震いが起こることがある。そういうときは大変嬉しくなる。このぞくっが好きだ。でも,それは自分で予定できるものではなくて,向こうから突然やってくる。だからこそ嬉しいものかもしれん。うまく言えないけれど,それを味わったことがあるものは好きになる,あるいはもう一度味わえるのではないかと期待してしまう。しばしば野球を(テレビでだけど)見ているのも,確かそういう理由だったような気がするが,既に半ば習慣化しているので(「ぞくっ」が,ではなく,見ることが)忘れてしまった。(0:59)