遅い時間になったので手短に


神宮外苑の花火大会に行って来ました。くやまが誘ってくれて,ゆかた着て。


といっても,「神宮外苑」には足を踏み入れていない。地下鉄表参道駅で待ち合わせ,外苑前駅を経由して神宮球場方面の通り(スタジアム通りというのかしら)の路上。外苑前駅を出てすぐぐらいのところで前が詰まっている風だったのでそれ以上進むのを断念した。信濃町あたりから攻めたら「外苑」花火大会だったのだろうけど。


しかし,外苑前駅方面から攻めたのは或る意味正解だった。東京でないと見られないね,あんな花火大会。良い経験をしました。都会のど真ん中で打ち上げられる花火。水がないところで花火大会ってのが(ないわけではないけど)そんなに多くないし,ちょっと戻れば「青山三丁目」とか「表参道」といったなんだか小じゃれた地名に小じゃれたお店が並んでいる。そんな繁華街で片側二車線のアスファルト舗装道路(交通規制あり)に半分寝間着みたいなゆかたで直座りして,焼きそばとかフランクフルトとか食べながらビルの谷間から端っこ切れ気味(というか半分ぐらいは切れてた)の花火を見る。街灯の明かりもそのままでその場が明るいのもなんだか不思議な感じ。


花火大会の規模そのものは,数ある東京近郊の花火大会の中でも小さな方だろうとは思うのだが,日常生活(都心には縁がないので或る意味非日常ではあるが)に突然異次元空間への入り口が接近している奇妙な感じはたいそう面白かった。


終了5分ちょっと前に最後の1群を残して早めに立ち去るも,既に駅は混雑が予想されたので5分ほど歩いたところにあったスタバに入り,いつものエスプレッソフラペを飲みながら1時間半ほど世間話。花火大会帰りに5分でスタバ。利用可能な駅も多いし,駅から歩く距離も短くて済むし,場所取り失敗するとビルに隠れて全然見えないというのはオツなのか欠点なのかわからんけど,気軽な感じもよかったな,と。おもしろうございました。


二人してゆかたを着ていったわけだが,わたしのゆかたは明るい内に青山に出没するにはちとくたびれすぎているよ。糊してなかったからという問題でもなかろう。今回着る段になって襟の汚れに気づいてそこだけ手洗いしたら水が真っ青になってびっくり。ただの青地のゆかたと思っていたけどひょっとして藍染め? だとしたら随分色あせているのだな。


生地は毛羽立っているし解れかけているところもあって,お出かけ用は新調した方がいいなあ。と思いつつも,着る機会がない上にそんなに安いものでもないので躊躇しまくり。外に着て出たのは3回生(の中央生協祭り)以来じゃないかと思う。いや,3回にはもうそんなことしてないかもしれんから,2回生以来かな。選り好みせずに大人しくコーマ地の藍染めを買おうか……


ゆかた男子がけっこう多かった。去年の江戸川の花火大会のときにはほとんど見なかったように思うので,激増した感じがする。これはUNIQLO効果なのかしら。じっくり観察・鑑賞する余裕がなかったのが残念だったけど,いいもんですな,ゆかた男子(にこにこ)。紺の無地の縮とかモスグリーンぽい色とか渋い芥子色(茶色かな)とか,バリエーションもそれなりにあり。今年新調した人が多いからなのか,みんなぱりっとしてて,かっこいいさ。個人的には兵児帯じゃなくて角帯を貝の口に締めているのが好き。


でも,みんな女連れなんだよなー。いや,まぁ,ええねんけどさ。女の子の方も好みのタイプであればカップルまるごと萌えーっと鑑賞できるのだが,いまひとつ好みのタイプでない女性が連れの場合はちょっとむすー。(余計なお世話)


日曜8時のドラマはビデオに予約録画しているけれど,帰りが遅くなったので今は見ない。このまま脱落するかも。


野球はどうやらヤクルトが横浜に対して劇的な勝ち方をしたようだが,各種スポーツニュースを(時間が間に合わなかったNHKと見損ねたテレビ朝日以外)追いかけてみたものの,まぁ扱いの小さいこと小さいこと。打たれた佐々木の映像しか出ていないといっても過言でないくらい。オリンピックも近いのでそんなもんでしょうか。というわけで今は野球のオリンピック代表とイタリアのセリエA選抜との練習試合の模様を横目でちらちら見中。が,なんちゅぅか,普通に試合の録画中継ではないようで,なんというか,いや,その,……,なんだか。……なんだろう。試合のハイライトシーン中継と選手紹介のVや過去のオリンピックシーンなどを交互に見せる編集そのものはよくあるタイプのものと思うので,単にわたしが代表チームの監督に対して何の特別な思い入れもないからだろうかな。代表チームにやたらと国を背負わすのも好きではないが(マスメディアが作り上げる高校野球像があまり好きでないのと同じことだ),一人の元選手を背負わすのも,何か「違う」感が否めない。今の野球の代表チームはどっちも背負わされている感じがして,非常に釈然としないものを感じる。単に選りすぐりのチームを作って(プロ野球1チームにつき代表選抜は2名という規定は「選りすぐり」としてはナンセンスだが,それでも野球好きにとっては或る程度,或いは十分にドリームなチームだ)そのチームが普段戦うことのないほかの国の選りすぐりチームと戦うのはわくわくするし,できれば勝ってほしいと思う。それだけじゃだめなんか?


少し(かなり)古い話題になるけれど,よしき氏が8月4日の日記の「ナショナリズムの超克?」の項で紹介なさっていた,フローラン・ダバディ氏のスポーツだからこそ代表戦、ナショナル・チーム制度廃止? は,ふむふむと思った。スポーツとナショナリズムについては先だってのサッカーのアジアカップで何かと話題になっていたようだが,わたしは外野にすらいなかったので,何がどうなっていたのかはよく分かっていない。ただ,スポーツコーナーの中でなく一般のニュース(社会)コーナーで関連のニュースが報道されていたのをちらっと見て,やや社会現象的(大きな)扱いをされているようであると感じたものだが。


よくわからんので何も言わないが「なんだかなぁ」と思っていた。その「なんだかなぁ」の所以は,先日読んだ内田樹氏の「ためらいの倫理学」に書かれていたように,非難する側も同じ文法で話していることから来ているのではないかとちらっと思っていた。上にリンクしたダバディ氏の文章は,同じ文法,同じ土俵での争いではなく別の視点ですぱっと切っているので,ぽん,と膝を打つものだった。たしかによしき氏の指摘通りやや理想論に過ぎる嫌いはあるけれど。(2:00)