バスソルト入れて長風呂


ぽえぽえ。


お風呂の中で,先日百貨店の宝飾品売り場をうろうろしていたら貰ってしまった小版の指輪等カタログを眺める。この手のパンフなりリーフなりはお風呂のお供に適していることがわかった。眺めるだけなら頭使わなくてもいいし,割に楽しいし,濡れることなどを心配しなくても良いし(その内捨てるから)。


PERLITAというブランド(?)でモデルは西洋系の女性だがメーカはミキモト。秋の新作カタログを見るに,なかなかに素敵だった。考えてみれば洋服一揃い買うのと値段的には大差ないけれど洋服と違って季節を問わないし,旅行や食事みたいに一回こっきりで消えてなくなるものでもないし。といっても,洒落ているなあと思った新作の凝ったデザインのものは10万円前後の定価がついていて,そうなると手も足も出ないけど,彫金の素敵なシンプルなプラチナリング(ブライダルコレクションのカタログに載っているものですがそれが何か)であれば4〜5万円で手に入る。なんちゅぅんですか,「ボーナス出たら自分へのご褒美に一つ」と思わせてしまう底知れぬ魔力。しかし,それは,「ボーナスが出たら」の「たら」が持つ仮定法・条件法度合いがかなり高い(つまりボーナスが出ないケースも十分に考えられる)人間にはあまり現実味のない話でもあり。


ボーナス云々はさておいて,アクセサリーというか,小物全般の購入・使用が苦手なんだけど。なんとなく。これは昔から。自分で組み合わせるパーツは少なければ少ないほど良い。センスに自信がないし,セオリーも分からないし。


「貴金属」に近いアクセサリーは自分で買うものではないという恐ろしい認識が頭の片隅にちょこっと陣取っていることも否定はしませんが。だからって「おねだり」はしないよ(……と,思う)。


「ファッション」に属するもの,というか,流行もの・デザイン性が高い,或いは趣味性が高いものは,素材や価格にかかわらず自分で買うべきものであって,プレゼントされるべきものはオーソドックス或いはシンプルで所謂「長く使って頂けると思います」ものという感覚を持っているのだけれど,改めてこのように書き出してみるとその感覚はナンセンスかも。分類の仕方が明瞭でないし,そもそもアクセサリー(の使用)についての根本的な認識がどこかずれている。よりよく装う為に装飾品を身につけるのだから,着るものや場に相応しい装飾品を選ぶのが望ましい装飾品の使い方だと思われるので。そうである以上,オーソドックスさとプレゼントされるのの相応しさに相関をつけるのは,ファッションセンスのない話では,と。


「プレゼントされるならオーソドックスでシンプルなデザインのもの」と考える理由は,せっかくだから使用機会の多い・使用期間の長いものがいいと思うからだ。というか,逆に言うと,すぐに飽きたり使わなくなったりするようなものをもらうのは,勿体ないし気が引ける。相手がそれでいいと思って相手が選んでプレゼントしてくれるのならどんなものでも喜んで受け取るのだが,流行ものやデザイン性・趣味性が高いものほど,相手のセンスにまかせっぱではなくて自分が選ぶことになる(選びたいと思う)のでは,とか,それって「おねだり」みたいなもんじゃん,とか,ほしけりゃ自分で買えよ,とか……この話,条件設定そのものがかなり個人的であることに気づいてしまったのでこの辺でやめます。えぇと,つまり,この考え方自体多少なりとも或る特定の贈り主の考え方に影響を受けているのではないかという話と,何を贈られるかやどう贈られるかは,贈り主との関係性や贈り主本人の属性によって全く違ってくることにも気づいたということと。「関係性」については,ここでは何の説明もなく俗に言うところの恋人からの記念日等のプレゼントに限定して話を進めてしまっていたけれど,所謂恋人からのプレゼントであっても恋人の嗜好やセンスや考え方でも違うだろうな。その辺はわたしは狭い枠の中に陥りがち。


お風呂から上がって,旅行の保険申し込み。一旦は,契約している某クレジットカードのオプション保険に決めたのに,いざ保険料を見てみると,別の某大手海外旅行保険会社のセットプランと保険料が同じ(かつ,条件は某大手の方がいい)ことが判明。結局,その某大手のオンラインでバラがけに初挑戦。バラがけだけにいろいろ悩んで,恐ろしく時間がかかってしまった。もうこんな時間だ。大人しくセットで申し込んでも,大差なかろうに。


ケベックの宿は明日かぁ。明日は荷造りを始めたかったのだが。っていうか洗濯……。さすがにこの時間から洗濯機は回せないので,今からぐだぐだ言っても仕方ないけど。


日曜日に新宿のコムサストアでビートルズが流れていたので今週は脳内BGMがビートルズ。ちょっとごきげん。(2:25)