alchemi氏の「夢日記」シリーズではないが,


わたしも少し前(精確には10月25日)から,見た夢を覚えていようと無駄な悪あがきをしてみたり,運良く覚えていられたものについては忘れない内に(覚えている範囲で)ちょこちょこっとメモをとったりしている。


あまり見た夢を覚えていられないんだけど,心がけていると次第に「覚えている率」があがるのか,意識がはっきりするときには忘れてしまうのが殆どにしても起き抜けはまずまずになってきた。


で,そんな中,いつぞや見た夢はかなり「う〜む」と唸るものであった。


“人は何故夢を見るのか(何の為に夢を見るのか)”という問いに対するわたしが気に入っている説は,(どこで知ったのかもはやわからんのだが)“記憶を定着させるため”というもの。脳の記憶の引き出しに体験したことや考えたことをしまい直す作業を,睡眠中に行っていると。それが夢なんだと。


この考え方は,理解に苦しむ夢を見たときには助かる。ここから先はわたしの勝手な解釈になるけれど,ばらばらとした体験や思索を,なんでもかんでも,あっちでもこっちでも無理矢理ぺたぺたひっつけてとにかく関連づけてしまい込むのだから,展開がむちゃくちゃなのは当たり前,できあがった夢がたまたま一見意味ありげなストーリィになっていたところで,それそのものには意味はない,と。


ばらばらに覚えるよりは無理矢理にでもストーリィ立てしたほうが覚えやすいというのは暗記モノの語呂合わせなどによく見られる手法だから,夢もそうだとしても納得しやすい。だからって,幼少期に繰り返し見ていた「怪獣に追いかけられる夢」や「ゲリラ戦に参加している夢」の説明は難しいけど,特撮ヒーロー物や少年マンガが今よりは身近だったのは,……関係あるのかないのか。


乙女のドリームとして「好きな人の夢を見る」というのがあるけど(しかし実際にはそう都合よく夢に出てきてくれはしない),逆に,夢の中に人が出てくるのは,その人が自分に対して何かメッセージがあるからという考え方もある。「夢枕に立つ」は現代でも言われることだし,その昔は夢に出てくるのは自分に気があるからという説もあったとかなかったとか。


どれくらい理解に苦しむかというと,つまり,或る知人(現実世界に於ける実在の知人)と[筆者の自主検閲により削除]する夢で,夢の中のわたしはどうとも思っていないのだがどう考えても「なんでやねん」。なんだかなー,と,目が覚めて超脱力。あまりの奇想天外さに,本人に会ったとき妙な反応(突然噴き出すとか)をしはすまいかと余計な心配までしたけれど,夢の中と現実とが全くリンクしていないからなのか(どうも,同一人物という感じがしない),おぼろげな印象を漠然と覚えているだけで具体的には(夢の中での自分の行動や思考を)忘れてしまっているからなのか,どうってことはなかった。


だから夢は起きたら忘れるようになっているんだな。寝た子を起こすなというか藪をつついて蛇を出すというか,忘れるべきものは変に覚えていようとか記録しようとかせずに素直に忘れるにまかせた方がいいのかもしれない。いい夢ばかりでもないんだし(この夢が悪夢だったということではないのだが)。といいつつ,もうしばらくは「夢覚えておこう」キャンペーンを続けるつもりでいるのだけれど。


えと,ご心配なく,「或る知人」はここを読んでくださっている内のどなたでもありませんし,皆さんの知り合いの誰かでもありません。それは保証しますので。


どうでもいいけど,現実世界では見たこともない顔なのに夢の中では当たり前のように知り合いだと思っている人ってのがよく出てくる。どちらかというと,現実世界の知り合いが出てくることはあまり多くない気がする。


明日は寒くなりそう。晴れだけど予想最低気温が13度,予想最高気温も16度ですって。今日より6度も低いのだとか。でも,それも悪くないかも。


昨日の雨で,公孫樹の葉がずいぶんたくさん路上に散っていた。そろそろ落葉の季節らしい。