話変わって先週土曜日の買い物の件だが


「珍しく非常に喜んで頂けたので、一安心です」という書き方は,ややもすれば「まず滅多に喜ばずいつも不満ばかり申し立てている」との解釈を生みかねないのだが。


そんなことないじゃん,いつも喜んでるじゃんよぅ。


少なくとも「珍しく」は余計だと思うのだがね。何と比べているのか知らないけれど,トータルではそんなに珍しいレベルの嬉しさではなかったんだがな。まぁ,端から見ていた人がそう観察しているのだからそうなんでしょうけど。


という書き方は,ややもすれば「実はそんなに喜んではいなかったんだけどね」という解釈を生みかねないな。そういうわけでもないから。


でもねぇ。純然たる喜び満面とは違うような。お店自体は楽しかった,珍しい勢いで喜んでいたし珍しい級の楽しさだった。それは認めよう。しかし,買い物の方はいろいろとフクザツな心境なのだ。


簡単に言えば,装飾品を贈られるときにはその場で自分が選んで買ってもらうのではなく贈り手に予め選んで買っておいてもらうほうが楽だ,ということなんだけど。もっと端的に言えば,値札を見たくない。


あれこれ言いながら買うのは楽しいものだ。それに,贈り手が選んだものが自分の好みに合わなかった場合のリスクを考えると,一緒に買うのが得策であるとも思う。


しかし,一緒に買うならどうしたって値札は目に入ってしまう。それはわたしのような庶民がごく普通に店で買う場合には避けられない。


贈られる側(買ってもらう側)が人(贈る側)の財布から出ていくお金の数量を決定するというのが,すごーーく居心地悪いのだ。昼ご飯ぐらいじゃ気にも留めないけど,装飾品となると昼ご飯よりか高いもの。「遠慮しなくていい」と言われても。実際遠慮はしなかったけれども,「わ〜い,うれしい」と単純には行かず,なんだか気が引ける。腰引け気味。


気に入らないものを貰っても仕方ないけど,特に何か欲しい物品が決まっているのでなければ,デザイン含め値段含め「じゃ,これにしよう」なる最後の決定権はあくまで財布を出す側にあると思うしそうしたほうがいいと思うというかそうしてくれ。胃が痛い。


今回はほかにもいろいろ絡んで上に書いたようにフクザツ。複雑なだけにうまく書けなかったので割愛。楽しくなかったとか嬉しくなかったとか喜んでないとかそういうんとは違うんだけど……なんて言ったらいいんでしょうねぇ。結果は幸いにして丸く収まったけれどそれは偶然の幸運であって万一結果がうまくいかなかったらどうなっていたんだろう,とか。うん。「うまくいかなかったらどうするんだろう,どうしよう」と思っていたときが辛かったな。ということで。


なんかしちめんどうくさいことを書いてしまいましたが無視してやってください。「このなかからなんでもすきなのかってあげるよ」「もしすきなのがなかったらどうすんのよ/このなかじゃなくてべつのがほしい」ケースってことね。


時に,この買い物の件で質問を受けたので上記のようなことをざっと回答したらどうやら激しく誤解されたようなのですが,腰が引けているのはわたしのへっぴり腰であって,額としては一説によるところの平均被プレゼント期待額ぐらいだそうです。みんな神経太いんだなぁ。じゃなければお金持っているんだなぁ。