結婚と言えば
人づてに聞くにこのたび知人が結婚したそうなのだが,それがどうやら遠距離結婚らしい。その話を聞いて,ちょっと「いいなぁ」と思ってしまった。
近距離(極限は同じ家)に居られるにこしたことはないとは思うけれど,遠距離でも敢えて結婚という形を取ることが,いいなぁと思えたのだ。もっとも,遠距離になったことと結婚との因果関係,簡単に言えば結婚を決めてから転勤が決まったのか転勤が決まってから結婚を決めたのかはわからないんだけど。
これはごくプライヴェイトでデリケイトでナイーブな問題なので,ひとによっていろいろ感じ方考え方スタンスの取り方が違うと思う。なのであくまでわたしの今の時点での個人的な好みにすぎないのだけれど,どうやらわたしは婚姻届なる紙切れ一枚を提出するか否かにけっこう重きを置いているらしい。
正確に言えば婚姻届に拘泥しているのとはちょっと違うんだけど。方法はなんでもいいんだけど,法的或いは社会的に(もしくは両方)その2人が夫婦であると認められていることが重要だと思っている。
それはわたしがまだ結婚のなんたるかを知らない(知ろうともしない)結婚とは遠い世界に住んでいるからこその世迷いごとと,結婚が身近な方々は嗤っていただきたい。
つまり,結婚することと同居することはイコールじゃないだろう,と,思っているわけ。単身赴任なんて珍しいことでもないし,たとえべたべたに仲が良くても結婚してから死ぬまで同じ家でずーっと一緒に暮らしつづけられるかどうかわかんないじゃん。途中の別居がありだったら,スタートからの別居もありだろう。何も結婚のスタートを同居から始めなくてもいいじゃん,と。
なんなら終生家は別でもいいじゃん,っつぅ話もないでもない。
と書いてみてさすがにそれはちょっと違うかな,という気がするけど。うぅむ。全く生活を共にしない状態を結婚といえるか。いや,いえるな。突き詰めると結婚の定義(感)の話になってきてややこしいのでパスするけど,単にわたしが望んでいないだけらしい。
でも行き着くところはまさにその結婚の定義のところの話になっちゃうんだけど。結局「結婚」ってなんなんだ,と。今の実態として婚姻届を出すことのみが結婚ではないだろう。裁判所の判例なら少しは実態に近そうな気もするけど残念ながらわたしはそっち方面には暗い。だから今のわたしにとって「結婚」とはたぶんに観念的であり,というか観念でしかなく,その観念があるのとないのとでは大きく違うと思っている上に「所謂結婚生活っぽい生活」という実態よりも「結婚している」という観念の方を重んじているということだ。
観念的てのは,つまり「その2人が結婚している」と当事者2人以外にも或る程度の共通認識がある状態が「結婚している」状態という,なんだか堂々巡りみたいな。周りの人達でもいいし公的な書類でもなんでもよくて。
だけど観念は所詮観念に過ぎずつまり実生活ではないので,そんなことに何の意味があろうやという気持ちも(意見も),どこかにはあろう。目下観念>実生活主義のわたしもいつかそういうスタンスになるかもしれない。少なくとも今でも他人がどういう形態で恋人なり配偶者なりとの関係を築いていようがそこに正しいだの正しくないだの良いだの良くないだのとは思わないし,そもそもこれはどっちが上だの下だのという話ではないのだからして。