長芋の汁が痒いと雨夜の小言(五・七・七)


贈り物の話題が思いの外白熱。いつもコメント等ありがとうございますー。


昨日はアクセサリについて「他の雑貨ほどにはユーザの趣味・感性によるブレが少ない」「センスの悪い品を買ってしまう危険性が比較的低い」等と書いて無難説を展開したが,先程晩ご飯を食べながら読んでいた某女性誌(ファッション誌?)を見ていて,少し考えが変わった。


今の時期(11月末発売)の雑誌はやたら綴じ込みが多い。それも厚手のマット紙なんぞで,お金がかかっていそうな製本になっている。それだけ広告代がたんまり入っているのだろうなぁなどと邪推する,つまりは季節柄この号は半ば宝飾品のカタログなんだな。


その雑誌に載っているものは「1年間がんばったわたしへのごほうび」云々の要するにボーナス商戦で,10〜15万円前後の品が主流だった。自分で自分のために買うものだからというのもあるのか,オーソドックスでプレーンなデザインではなく新作の凝ったデザインが並ぶ。それを見ていると,「男性は女性に独断でアクセサリーを選んで贈るときにはこういうデザイン物を選ぶのは控えた方が懸命だろう」と感じた。


それでもほかの雑貨に比べればブレ幅狭いかな,とは変わらず思っているけれど,趣味に合わない場合も発生しうると思った。わたしが持っているアクセサリーがどれも比較的ニュートラルな感じなので,アクセサリー全般が“そういうもの”だと漠然と誤認していたようだ。


それに許容範囲の広さは人によっても違う。道楽娘さんがコメントで「私の場合、アクセサリーは許容範囲(?)がせまいので気に入ったものじゃないと身につけません。店で売っているものを見ても「ほしい!」と思えるものは少ない」と書いてくださっていて,成る程,そういう人もいるのか,と思った。相手がそうであれば他の物にした方が適当だろう。


おそらくわたしはアクセサリへの関心が高くないのだろう。自分で買った物がほとんどない(買おうとすることがほとんどない)ことも関心の低さのあらわれかも。いただきものに細かな注文はつけられないしつけるつもりもない。だって,せっかくいただくものに対して甲斐のない不満を抱いても自分が損なだけだから。以前は好みの傾向だとか欲しいアイテム(具体的にコレというのではなくて,あんなかんじ,ぐらい)だとかもあったけれど,自分で買わない限りそれは手に入らないことを知って(かといって自分で買うには高すぎる/学生時代のことでして),深く考えないように努めるようになったのかもしれない。


と,こんな風に書くと妥協の産物のようだけれど(そしてそれは完全なる間違いとは言い切れないのだけれど),悔しいかな結果的には自分の趣味よりも贈り主の選択の方が自分に似合っているようだ。これはフォローや世辞やのろけではなくて,結果論として。それもあって今は全面的に信頼している。今つって,それに気づいて以来一度もアクセサリをプレゼントされていないので,本当に信頼に足るのかはどうかはまだ疑わしいのだが。


それをきっかけとなったのは一昨年のクリスマスプレゼントとその数ヶ月後の買い物なのだけれど,その話はただののろけに終始するので割愛。


つまりはわたし自身にアクセサリ選びのセンスがないということなんだが。


いずれにせよ,アクセサリーにしろ食器にしろ,それから食べ物だって,許容範囲の広さは人によって違う。比較的当たり外れがなさそうなものでも外さない保証はない。


だからわたしはプレゼント贈るのが苦手。なので(というのは言い訳がましいが)人に物を贈らない。胸はって言うようなことではないのだが。贈らないと決めて開き直っているのではなく(近頃は開き直っているか)結果的に贈れないのだ。そうなのだ。


消え物について書くのが本題だったのだけれど,長くなったので(長くなるので)またいつか。


さて。


昨日は贈り手と受け手の人間関係については考慮に入れずに書いている。「女性への贈り物はアクセサリ」は贈り手が誰でもそうなのか,両者の関係が如何なるものでもそうなのか。どうだろう。


わたしの手持ちのアクセサリがほとんどもらいものだとは書いたし,男性から女性への贈り物としてアクセサリはいいと思うとも書いた(その理由も書いた)。しかしわたしは,男性はかなまる以外からアクセサリをもらったことは,ざっと思い返した限りでは,おそらく一度もないはずだ。身内も含めて。


なので,半ば無意識のうちに,アクセサリのプレゼントが為されること自体にはすでに合意が為されている関係を想定していた。それ以外は考えてなかった(というか,敢えて考えなかった/書かなかった)。


かなまる以外の男性からアクセサリをプレゼントされたいか,されてどうかということを今まで考えたことがなかったのだが,少なくとも絶対ダメではないが,かといって,誰からでもいつでもどんなときでも素直に喜べるとも言いきれない。ただそれは(わたしの場合)アクセサリか否かではなく単に値段(義理チョコ値段ぐらいの焼き菓子1個とかならいいけれど4桁超えると唸るとか)の問題のような気もするし,ただ,どっちにしても経験がないので推測(机上の空論)に過ぎない。