物事は主観的にしかとらえられず
贈り物話がまだ続く(そろそろ終わろうよ)。
道楽娘さんの日記(12月18日)の評。わざわざ訂正して自分の狭量さを見せることもなし,それに,外から見ればそのようにも見えるのかと目から鱗でもあったのだが,わたしの主観では,道楽娘さんが書かれている「かな姉の意欲の高さが羨ましい」「毎年贈り合っているというのは、何というか想像を絶する世界だ」は誤解。
父親へのネクタイについては,わたしがただネクタイというものが好きなこと(しかし父親以外にそれを使う人がいないこと),自分の物ではない気楽さで選ぶときにも深くは考えないこと,からの「自己満足のための買い物」という話。自分の物を買ったり,贈る相手に気を遣う相手のものを買ったりは苦手。それに(これはとても重要なことだが)紳士用品の売り場は混まないし店員もあまり話しかけてこない。もう一つ,かなまるからはイベントごとにいろいろともらっているけれどわたしはそうではないので「毎年贈り合っている」というのは正確でない。確かにネタは尽きている(だから指輪とピアスとネックレスがそれぞれ3つずつとかになってくる)。
クリスマスプレゼントといえば,先日の京都での買い物を婚約指輪と勘違いしていた人がいたそうな。所詮他人事故好き勝手御想像頂いて構わないが。
わたしの買い物への考え方や傾向は道楽娘さんによく似ていると思った。とくに買い物。適当に抜粋してしまうが
- 買い物は好きじゃない(義務で買いにいくけど疲れる)
- 許容範囲が狭いがゆえの衝動買い傾向
- 「あったらいいかも」と思うものはあっても自分で歩き回って探してまで欲しいものなんてない。
- いろいろ比較していると気が狂いそうになる(これは某所へのコメント)
“「プレゼントを一緒に買いに行く」というシチュエーション、気持ちはとてもありがたいけれど、すごく疲れる”以下のくだりは,身につまされる思いが(笑)。人の物を買いに行く(わたしが贈る側)なら一緒に買いに行くのがいいのだが。
道楽娘さんとの共通点,根底にあるのは「買い物は疲れる」こと。わたしはストレス発散買い物(それも衝動買い)をすることもあるが,その気持ちはよくわかる。
目的の品を求めてお店の中(場合によっては数件のお店)を巡ること,店員さんとのやりとり,候補となった選択肢を比較検討すること,そのすべて。そこに楽しさを見いだすこともあるけれど,だいたいにおいて徒労感が楽しさをを上回る。ついでに言えば購入した物品を持ち運ぶのも重かったりかさばったりで疲れるし,配送を依頼すればそれもまた気疲れする。家に入った後の荷解きや置き場所決めもたいへん。