改めて,広島


広島は好きだが遠い国だ。岡山県は,倉敷市に対する岡山市の如く,旧大宮市に対する旧浦和市の如く,というか,岡山市や旧浦和市のような「行政上は中心都市」という後押しもないのに,なぜか中国地方の覇権を争っている気分を広島県に対して一方的に抱いている。つまり,勝負にならないのに勝手にライバル視しているところがあるのだ。後押しとなる肩書きがない点では,一部の独立行政法人K大生(とその志望生)が抱く独立行政法人T大生(とその志望生)に対する僻みに喩えた方が近いかもしれない。ただ,K大とT大にはそれほど大きなレベルやランクの差はない(と思いたい……国立時代の予算は倍ぐらい違ってたそうだけど)のと違って,広島県岡山県の間には,勝負を挑むのも烏滸がましいぐらいの歴然たる開きがある点だろうか。あっちは県庁所在地が政令指定都市ですぜ。


でまぁ,勝負にならないどころか中国地方2番手(全部で5県しかないくせに順序付けてどうする)と言い切れるほどのリードも他3県に対して取っていないのが岡山県の実状なわけで,他地方の人には中国地方といえばトップが広島県で他の県は広島県に追随しているように見えるかもしれない。大学に入ったとき,お隣の近畿地方であるにもかかわらず岡山県出身と言うと何かと広島県と混同(同一視)され,いちいち「一緒にするな」と内心で反発したものだ。


斯様に,岡山県人にとって広島県は遠いのだ。「最寄り集配郵便局は広島県」の夏川氏などにとってはまた違うかもしれないが,兵庫県との県境に近いところに住んでいたわたしにとっては地理的にも全く縁がない。そして,氏の指摘で初めて気づいたのだけれど,ここまで「遠い」感を覚える最大の理由は,距離の問題よりもむしろ,文化的交流(共有)が殆ど発生していないことに起因するようだ。


氏が書いているように,岡山県内に電波が送信されている民放局はほとんどが岡山・香川の2県のみを範囲としている放送局だ。つまり広島とは別の放送局なので,広島のローカルニュースや文化情報は基本的には入ってこない。広島ローカル局のローカル情報番組はもちろん放送されない(岡山・香川ローカル番組やキー局の番組が放送される)。NHKだけは中国地方単位でやっていたかもしれんが(岡山放送局と高松放送局とに分かれているし),民放だと天気予報すらしないのだ。


その土地の地名を知っているかどうかだけで,親しみの度合いは全然違うのではないだろうか。テレビで見ているのは大抵はキー局制作の番組ではあるのだけれど,入るCMの一部は岡山&香川ローカルだから,そこで地名や地元企業名が自然と耳に入ってくる。だからわたしは位置関係も知らないのに,丸亀,観音寺,志度あたりの特に全国的に有名とは思えない地名に聞き覚えがあるのだし,「名物かまど」の歌も歌えれば「♪四国フェリー,グループ」のフレーズも覚えている。きっと香川県人も「♪む〜らすーずめ〜のきっこーどー」って歌えるだろう。橘香堂の「むらすずめ」の現物を見たことも食べたこともなくても。どうよ?


その上,海水浴場で沖を見れば,そこには小豆島(アズキ島じゃないよ,念のため)が広がっている。広島県の姿なんてどうがんばっても拝めないが,海の向こうの大きな島は香川県。それを思うと,どうしたって香川の方が(行ったことはなくても,うどんも食べてなくても)近い感じはするよな。


広島県岡山県で異なるのはテレビ放送局だけではない。たぶん地方新聞も違う(岡山は山陽新聞。ただうちはずっと産経だったので……)し,当然うちの実家ぐらい距離があるとラジオのFM/AM放送も入らない(関西のAMなら一通り入るけど)。


「わからない」度合いでいけば広島も山形も同じレベルなのだ。「近くて遠い国・韓国」よりもアメリカやフランスの地名や地理に詳しかったついこないだまでの平均的日本の若者と同じってことだ(違うか)。


だからどうということではない。古くは同じ行政区域(同じ支配者の支配地域)に入っていたこともあるんだし,言葉もかなり近い(広島弁と岡山弁の違いを説明できない)。↑こうは書いたけれど山形よりは地理にも詳しいとは思う。だからそこまで強く「一緒にせんといて!」とは思っていないし,「同郷のよしみ」というか同じ中国地方であることの親しみ(同胞意識)も持っている。紅葉饅頭も好きだ(広島=紅葉饅頭という安直な発想が“知らない”感満載)。だけど,広島(特に広島市を中心とする文化的社会的諸事象)のことを訊かれても全然わからんよ,とは一応主張しておきたいわけで。


さて,夕食。うどんにしようかな。五島土産をいただいたのだ。添付の出汁がアゴなんだよ〜。