おでかけゆかた
昼間の(↓参照)続き。うまくまとめられないけど。
わたしの指向(というか思考パターンや好みの傾向)はしばしば「そもそも論」に行きがちなので,ゆかたは藍×白がいちばん相応しいと思うし,昼間に電車乗って街に出るのに着るものではない,とも思ってしまう。
それもあってここ数年夏になるとたまに目にする「若い女の子が昼間からなにもなさそうなのにゆかた」光景を「これも時代の流れだし,ゆかたも和服の一種だし,なんか違う気はするけどでも反対するのも違う気がする」という複雑な心境で眺めていたんだけど,今年になって考えが変わってきた。
プリントの綿ワンピースと同じ扱いでいい,というのが皮肉や悪い意味ではなく腑に落ちた。それというのも,素敵な「日中ゆかた姿の若い女性」を立て続けに目にしたからと思う。
好感が持てるのは,生地がぱりっとしていて(コーマ織りがてろてれではない),けばけばしくない程度に華やかな柄行のゆかた(白地で花柄とか)をきれいに着ていて,帯合わせの趣味が良い。
「そもそも論」のゆかた(藍×白で昔からある柄)がいい加減くたびれたのを昼前の電車で見たら今でもちょっとびっくりすると思う(「そもそもゆかた」に対しては感覚も「ゆかたそもそも論」から脱却できないということ)。でも逆に「とても素敵なんだけど,せっかくゆかたなのにこれじゃ洋服と変わらないなぁ」と購入を躊躇うような,例えば銭湯に行くには雰囲気が合わないようなゆかただと,昼間のまちなかでは似合っているように思う。
結局洋服って或る程度のTPOはあって,それは守るべき云々といった固い話ではなく。今時,よほどじゃない限り大抵の場所へはジーンズ・半袖Tシャツ・素足サンダルで出かける。とは言ってもやはり出かける先や目的・時間・同行者によって選ぶTシャツぐらいは変える(こともある/人もいる)。ゆかたもそれと同じように「お出かけ用」と「気合い抜きまくりのそのへん専用」とは違うだろうし,それをいっしょくたに論じるのもナンセンスかな。と,色のはげ落ちた藍地に菖蒲柄,糊も効いてないてろんてろん綿コーマに木綿の半幅という絵に描いたような「気合い抜きまくりのそのへん専用」ゆかたで銀座線に乗ったわたくしは,我が身の所在なさを感じると同時に同じ車両に乗り合わせた素敵な着姿お嬢さん達を堪能しながらしみじみ感じた次第。
いちばん大切なのはきれいに(こざっぱりと)着ていることかな。あとは年齢もあるかなあ。若い子は何を着ていてもかわいい。
7月8月の首都圏は毎週末のように(平日もしょっちゅう)どこかでお祭りや花火大会の類をやっていて,移動時間なども考えると明るい内からそのために電車に乗って移動することも不思議はなく,だから新宿や渋谷あたりにゆかたの人がいても,飲食店で見かけても,その人が「お祭りだから」ゆかたなのか,「特に理由はなく」ゆかたなのか,判別はできない。なので見かけたところで「おおかたどっかでお祭りでもあるんだろう」と流す。
しかしそれはそれとして,けっこういいお値段のゆかたをわざわざ買ったとして花火大会以外は寝かせておくのも勿体ないので,夏場の電車内ゆかた率を少しでも上げて「特に理由なく」ても着やすい雰囲気づくりに貢献できればいいな,と,うっかりがんばって銀座線なんか乗っちゃったわけですけど。
そもそも神宮球場はゆかた姿の女性かなり多い(男性もたまに)。夏着物の人もちらほら見かける。それぐらいでないとわたしも着ていく勇気は出ないって。考えてみれば,ナイター観戦にゆかたは似合う。煎じ詰めれば夕涼みしながらビールなので。ぎっしり埋まったレフト側(というかライトスタンドの中央3ブロック以外全て)を見ると,縦縞ユニに黄色いメガホンが羨ましくもなるけれど,ゆかたカップルがまったりデートしている光景も悪くないよ。
しかしゆかたに油断してかかったのも災いして,その前の日に着物着たときよりよほどぐちゃぐちゃだったしそのくせ思いの外時間もかかったし,挙げ句あっちゅー間にずるずる着崩れてかなわんかった。てろてろだからいかんのか伊達締め省略したのがいかんのか。