家系図
ところで,この年末年始にわたしの実家で見たのは,うちの家系図。祖父の退職後のライフワークなのかそれとも姉思いの大叔母が気を利かせたのか,その辺はわからんのだが,清和源氏から連綿と続く系図を見て,思わず吹き出しそうになりました。
大学に入った頃その辺りの戦国時代の武士との関連をよく訊ねられたもので,そのたびに「いや,全く関係ないです」と否定してきたものですが,くだんの系図にはどうやらそれとおぼしき近畿地方の武将が織田だか豊臣だかに追われて西へ落ち延びて,最終的にはうちの実家の土地に移り住み,その子孫が延々,という系図になっていました。
何の由緒もないような一般庶民の家の家系図を作る作業ってのは,同じ名字を持つ昔の偉い(有名な)人の系図とどうにかこうにかひっつける作業だとわたしは思っているので(偏見ですとも),気力と体力と時間があったらどの辺でどうやってひっつけたのか知りたいとは思う。しかしプロが作った系図に素人が穴を開けるのは難しいだろうなあ。「水戸黄門が日本で最初にラーメンを食べた」yes/noではないけれど,何かがなかったことを証明することは,何かがあったことを証明するよりも遙かに難しいことなのだ。つまり,関係がなかったということを証明することはできないだろうと。
清和源氏はともかく(桓武平氏じゃなけりゃ清和源氏だからな),落ち延びた武士の人は,時の権力から逃げ延びてド田舎に閑居したわけだから,その時点で事実上武士廃業だよね。そういう落ち武者的人たちが江戸時代に身分上どういう扱いをされていたのか浅学にして知らないが(農民だったのかなあ。でもそうすると苗字が残っているのは何故だという疑問が生じる),その人(16〜17C)からわたしのひいひいじいちゃんの代まで(つまり江戸時代300年まるまる)の間にずっと由緒正しいお武家様然としていたとは考えにくい。というかそれは無理では(公務員してないと武士じゃないのでは?)。仮に本家がそうであっても,うちはだいぶんはじっこの方っぽいし。
だから,その江戸時代300年間に,現代から遡ったうちの系図とどこぞのお侍さんとの接着剤があるんだと思う(ちょうど系図の紙が別れているころが怪しい)。
確かに家紋も軍事的だし武家っぽいっちゃあ武家っぽいけどさ。でも胡散臭いよね。ただ,もとが武士だからってそれで偉いわけでも悪いわけでもないから(元が武家で威張れるのは明治維新の際に華族や士族になった江戸時代の武家であって,江戸になる前に武士廃業していたら武家とは言えまい),事実でも虚偽でもどっちでもいいな。どっちにしてもこういうのは楽しい。系図大好き。
上で今の民法にこだわった話をしておきながらアレだが,家系ってなんか好きだ。自分のルーツがたどれる気分になるからかな。わたしには父と母がいるから,そこでルーツは二つに分かれる。母にも父と母がいるからさらに分かれる。そうやってたどっていくと,わたしに流れる今の家の最初であるところのひいひいじいちゃんの血はかなり薄い(16分の1。ひいひいばあちゃんも親戚筋なので二人足しても8分の1)。そのひいひいじいちゃんも,例えばわたしの父の母の母の母でも(名前も顔も何処のどなたかも存在さえも知らないしきっとたどることすら困難そう),ルーツとしては同じ割合のはず。
でも,そうやって枝分かれさせていくとキリがないのもまた事実(だから人類皆兄弟って話になるんだけど)。
系図といえば,そういう縦に長いものではなく,実際の親族の交際に役立つ範囲の系図の方が欲しい。これがまた,母のいとこなんてのはすさまじい数に上ることもあって,名前とか,誰の子かとか,その子(わたしのはとこ)の名前とか,すぐにごちゃごちゃになってしまう。わたしにとってもはとこは6親等なのでいちおう親戚になるにもかかわらず,さっぱりわからん。母のいとこ家と直接親戚づきあいするかというともちろんほとんどないのが現実だけど,どこかに書き留めておかないと,記憶にしかないものはなくなったとき本当にすっぱりとなくなってしまう。それがちょっと怖い。