感動は電話で話してしまったが


高校来の友人の挙式披露宴。招いてもらえて嬉しかった。


挙式で新婦(友人)が父親(面識あり)と入場してきただけで,感極まり気味だった。どうやら雰囲気に飲まれやすいらしい。


新郎とは初対面。素敵そうな人だった。いろいろ羨ましくなった。


90人規模の盛大な祝宴は,思い浮かべるところのテンプレ披露宴を地でいっていて,まずそのことに感動した。そればかりが続くと飽きるだろうけれど,ほぼ初めてに近かったので新鮮で面白かった。新鮮なんだけど,でも一つ一つお約束であり安心もできる,不思議な感じ。お約束通りを味わう新鮮さと申しましょうか。テンプレにはテンプレたる理由があるのね。


絵に描いたようなゴージャスな披露宴は,絵に描くのは簡単だけど,実行するのはいろんな意味でそうとうながんばりが必要であろうことは想像に難くない。冠婚葬祭の社交なんてどうでもいいじゃん,と省略しがちな昨今,めんどくさいことをきちんとやってのけて,わたしにとって積年の憧れであった所謂結婚披露宴を見せてくれた(その場に招待してくれた)二人に対して感謝の念に耐えない。


良い意味で期待を裏切られたのは,主賓テーブルにお歴々の並ぶ大規模なものでありながら,きちんと新郎新婦が近かったこと。席次表を見てどんなお堅い感じになるんだろうかとびびりまくったものだが,バンケットを横長に使っていたので高砂との距離も近いし,お歴々の祝辞やスピーチも,さすが主賓テーブルだけあって話が上手い。テーブルラウンドで本人達と話もできるし。もっとも,考えてみれば世の中には200人300人というケースもあるから,90人程度では新郎新婦が遠くなるほどの規模ではないのかもしれない。


とにかくご飯がおいしかった。おめでたい席でおいしいご飯を食べて少しお酒が入れば,不機嫌になる理由はない。次第に気さくなほんわかした雰囲気が漂い,ふにゃふにゃと舌鼓を打っていた。ゆっくり食べることもあってメインの頃にはおなかいっぱいだったけどね。


と書くとかっこいいが,実態はそんな大人な社交場に慣れていない,いつもと違うことに興奮してはしゃぎ回るハタノ(アルコールが助長仕様)。


そして,例によって雰囲気に飲まれやすいので,新婦の両親への手紙及び記念品贈呈では,ぼろぼろ泣いてしまった。何故が泣くか。後で振り返ってみると自分でもおかしな話だと思うのだが,こういうのって,感情移入なんだろうなあ。


彼女の幼少から今までの人生(対親)を詳しく知っているわけでもなく,新郎との交際模様なんて,ちょこちょこと聞いていただけでほとんど知らない。泣く要素もなければ泣く資格もないはずなのに,なんでかしらんが,だーーーー(滂沱)。


なんでかね。ともかく,語られるエピソードのひとつひとつで泣き,記念品贈呈の場面で新婦に話しかけてハンカチを渡している新婦母とのやりとりを見てまた泣き。退場のために新郎と腕組んだところでまた泣き。またBGMとMCが盛り上げるわけよ。もう思う壺だよ。踊らされすぎだよ。


でも,なんだかいいよね。幸せだよね。


わたしもやればよかったな,と,思いましたわ。別に手紙朗読や記念品贈呈でなくていいんだが,最後の挨拶の時にひとりひとり名前を挙げて感謝の意を述べればよかったと反省。


お幸せに。