恩田陸「夜のピクニック」(新潮文庫)
思い出した。わたしがではなくかなまるが。作中に出てくるところの「歩行祭」は茨城県に実在する高校で実際に行われている行事がモデルとなっていて,その為映画もオール茨城ロケ(と茨城県下の高校生を中心としたエキストラ)でつくられている。彼女はプロフィールでは宮城県出身と書かれていて,だからすぐには気づかなかったのだが,描写の具体的なること,OBでもない限りよほど丁寧に取材をしなくては書けないだろう。そして,隠しているわけでもなく,そこは彼女の出身高校である由。
と,ここまでは巷間知られた話,かなまるが思い出したのは,「あれ,確か○○さんとおなじ高校じゃなかったっけ」。よく何ヶ月も前の自分の日記のコメント欄の内容をさしも詳細に覚えているものよ。わたしはと言えば,映画を見ながら茨城だからもしかしてその学校のことを知っているかもしれないとは思ったけど,自分もおなじコメントを読んでいたはずなのにそんなことは一切思い出さず,よもやおなじ学校なんてことはないわよね,などと脳天気に思っていたのだった。(あらゆる局面に於いてかなまるの記憶力とわたしのそれとの間には斯様に天と地ほどの開きがある。自分の記憶力が極端に悪いのかかなまるの記憶力が極端に良いのかそのどちらも違うのかは判断できない)。
映画を見ていたときもその前後に小説を読んでいたときも,80kmという距離が全く実感を伴っていなかったのだが,ふと,自分の実家から市街地までが片道約40kmであったことを思い出し,その瞬間ぞっとした。言わば,岡山市内の高校(進学校ならあの辺とかあの辺とか)の生徒がてくてく歩いて,うちの近所の中学校(某友人の出身中学ですが)辺りで仮眠を取って,あの辺のたんぼ道をてくてく歩いて,吉井川沿いの国道二号線を排ガスにまみれながら……しまった,いささかローカルネタに過ぎた。
あたしだったら,その行事があると知っただけで,志望校から外してしまうかもしれない(自分が志望するに足るかどうかは置いておいて)。それは極端にしても,毎年,どうやってその日にのっぴきならない体調不良に追い込むかを真剣に真剣に考えることだろう。ああいやだ。
しかし伝統ある高校にはそれだけの長さで培われてきた校風やユニークな伝統行事があることも多く,所謂新設校(つって,もう創立20周年は過ぎたんだっけ?)に通っていた自分にとっては,それを純粋に羨ましく感じることもある。wikipediaに都道府県別の学校カテゴリがあって,何の気なしに大分県の高校を見ていたら某校なんぞはものすごく詳細で,やはり羨ましいものだった。mixiのコミュのメンバー数も多いし。wikipediaはともかくmixiは単純にOBの総数が圧倒的に違うんだけど。
話は逸れるが,小説は昨日無事に読み終えたが,待ち時間の立ったまま読書だったり電車の中だったりお風呂の中だったり,かなりざざっと読んでおまけに原作とは少しずつ設定の違う映画設定までもがほぼ同時に(混在して)頭の中に入っていたので,いささか混乱している。もういちどていねいに読み返したいしみじみと味わいのある話だった。
寝る前にもう一度ぱらぱらとページをめくっていて,ちょっと長くなるけれど引用。
好きという気持ちには,どうやって区切りをつければいいのだろう。どんな状態になれば成功したと言えるのか。どうすれば満足できるのか。告白したって,デートしたって,妊娠したって,どれも正解には思えない。だとすれば,下手に行動を起こして後悔するより,自分の中だけで大事に持っている方がよっぽどいい。
わし,リアルに高校時代(十代の頃とも言う)似たようなことを考えていたわ。端から見ればバレバレだったとしても,どうこうしようともどうこうしたいとも思わんかった。それがいつのころからか,そんな小難しいことは考えなくなった。だからってまっすぐに告白したりデートしたりができるようになったわけではないけれど,自分の好きという気持ちとの付き合い方に少しは慣れただろうし,仮に何かしらごちゃごちゃ考えるとしても,自分の好きという気持ちの扱い方がわからなくてではなくて,もっと打算的な何かになるんじゃないだろうか。わかんないけどね。そもそも「告白」という行為は,若者の特権じゃないかねぇ。やってることの本質はおなじであっても放課後体育館の裏に呼び出して○○くん好きなんですこれ読んでくださいにはならないし(実績があるわけではないので,念のため),今はまだ若者だけどそうやって次第に「告白」という名で呼ぶそれとは違うものになっていくんだろうな。
えーと,なんか,恋愛から遠ざかっていますね。今更いいけど。なんだかんだ言ってわたしも人並みの青春時代を過ごしているんだわね,きっと。思い出は美化されていくものなので,かなまるとのことはほとんど思い出さないのだが。
500mlのペットボトル飲料も携帯電話も一切出てこないストーリーの途中,100円玉6枚で缶コーヒーを6本買うシーンが出てくる。でも,これはとても普遍的な,今でもどこにでもありそうな高校生活の物語だと思う。
映画では確か2005年9月の設定で(と「歩行祭」の栞か何かに書いてあったように見えた),小説で冷湿布をはる場面で彼らはエアサロンパスを吹き付けていた。
まあそんなこんなでここまでの流れとは全く無関係に戸田忍が好きなわけだが,郭智博氏の演じた映画の戸田忍のキャラに因るところも大きいようだ。