2日目(比叡山麓一周)
11時に目覚ましが鳴ったようだが(略)。11時半に電話をいただき,ようやく事態を悟る。自動的に,予定されていた研究室訪問はパス。寒い(北向きのためか外よりも寒い)部屋でコーヒーを飲んでおにぎりを食べて,顔を洗って12時半過ぎに出発。
元田中の駅ホームでT氏K氏と落ち合い,叡電に乗って旧八瀬遊園駅まで。八瀬遊園がなくなったから駅名が変わったそうな。八瀬比叡山口駅,だったかな。(関東の私鉄は学芸大学とか都立大学とか向ヶ丘遊園とかいろいろありますね)。叡電は鞍馬行きにしか乗ったことがなかったので新鮮。そして一両編成ということもあって人がいっぱい。
終点の八瀬比叡山口からケーブルカーの駅までの間の道のりは,紅葉の裏葉がとても綺麗だった。天気がよく日向は気温が高かったので,河原のバーベキューが美味しそうだった。さて,そこからは大正14年開通のケーブルカー。
それまでの通算でケーブルカーに乗った回数が1度あるかないかというのに,異常にケーブルカーづいているこの半年。立山・高尾に続いてこれで都合3度目。増便されていたので比較的スムーズに乗車し,K氏推薦の最後尾車両で,だんだん小さくなっていく岩倉を一望する。自分が知ってたころと比べて,随分田んぼが減り(ぱっと見皆無だった)住宅が増えた印象。盆地に家がぎっしり。かの有名なモヒカン山も今はなく,10年(以上)の歳月を感じる。
ケーブルカーの終点からロープウェーに乗り換え一気に比叡山頂まで。山頂の紅葉は終わっていて,足元にわさわさと朽ちた濃い赤色の落ち葉が積もっていた。山頂のテレビ塔を眺め,バスターミナルで烏賊焼きを食べ(随分長いこと待った。あそこの売店の為にダイヤが適当なのではないかと疑ったが観光時期ゆえ麓からの道路が混んでいたのだろう),バスにうつらっとしながら揺られて延暦寺。
延暦寺は,数年前のやはり今の時期に行って以来の2度目。そのときは自動車だった。前回の記憶はさっぱり失せていて,初めて訪れるかのようだった。道に紙芝居のような延暦寺縁起があったのは覚えていたけれど,具体的な様子は思い出とは異なっていた。宝物殿で版木を見たことだけは(建物も複雑な二階建ての造りだし)現地に再訪して思い出したが,しかし肝心の建物や境内の様子は全く記憶になかった。いったいどういうルートでお参りしたんだろう。根本中堂にしろ講堂にしろ,今は朱色が褪せてしまっているけれど,建てられた当時はさぞきらびやかで立派で豪華な建物だっただろうと推測される。古ぼけている方がなにやら価値が高くありがたいものと感じるメンタリティがどうやって形成されているのかわからないけれども,もしぴっかぴかだったら,どうなんだろう。
仏教美術に対する造詣は皆無だが,有無を言わせない迫力がある。これは古いっぽいからではなく,なんかすごみがある気がするのが比叡山の比叡山たるところだろうか。あちこちに四天王像がいたが,踏まれている邪鬼もそれぞれ違っていておもしろかった。
前回はなにやら暗くて寒かった思い出なので,今回は天気がよく暖かで良かった。とはいえ,根本中堂と宝物殿を見ているうちに日が陰り寒くなってきたので(山の東斜面だから日暮れが早い),坂本ケーブルで坂本側に出る。京阪(?)のなんとか線石山駅を出る頃には日もとっぷり暮れ,旧京津線(? そのまま市営地下鉄東西線)に乗り次いで,東山から市バス206系統で北上。各駅で嵐山ナントカ川方面っていうアナウンスがずっとあって,何のことだろうと不思議に思っていたところ,東西線の西側が延びたらしい。東西線で嵐山に行けるのは便利そうだ(行けるのかどうか知らないが)
206を飛鳥井町で降りて,毎年恒例の「さとのや友の会」。会長の開式の辞を聞き逃したのが悔やまれる。小丼にこんもり入っていたご飯をお代わりしてしまって,焼き肉を食べるときに最初からご飯があるのは良くないと思います。何がどうということもなく,1年まえと何一つ変わらぬ様子で肉を焼いてテレビ番組に突っ込みを入れて肉を焼いて肉を食べて肉を焼いて肉を食べて肉を焼いて。そういえば今年はゲストがいなかったかも。去り際おっちゃんに「また来年もよろしく」と言われ,一年に一度だけと決めているわけではないんだけど,実際には一年ぶりだったはずなので,時が経つのが早いような早くないような。うーむ。
有煙ロースター万歳状態の一行,てくてく歩いて今出川の川を渡ったところ(旧富士銀行)にあるカフェでコーヒーを飲んで(株式会社まどい系列だったのは驚き),名古屋から日帰り参加のF氏(奥様)の新幹線の時間をしおに散会。また来年。カフェのまわりの客がけっこう学生さんが多くてイマドキの学生さんはお金持ちなのかなあと思いましたとさ。
帰りに百万遍の銭湯に入ってさっぱりして,下宿に戻ったのが23時ぐらい。着替える前に速攻で寝入っていました。たくさん歩いて疲れていたし,肉を消化する作業も大変だったに違いない。