通算4本目(確認分のみ)


やたらと髪の毛を触る癖があります。そして,どうやら行き詰まっているときやストレスを感じたときに体毛(髪の毛に限らず)を抜く癖もあるようです。つまり仕事中にしょっちゅう髪の毛を引っ張ってぷちぷち抜いてしまうこと自体は日常茶飯事でほとんど無意識下の行動なんですが,するっと抜けた髪の毛が白かったのにはさすがに衝撃を受けました。


これがまた微妙なグラデーションで,現物をうまく色の変化がわかるように画像化するのは難しいと思うのでここに載せるのは諦めますが,根本のほうこそ真っ白になっているものの,途中は三毛猫状態というか,薄目の茶色だったり白だったり黒に近い濃いめの色だったりとなんだかまだら。髪の毛自体も他の毛に比べてやせ細っていて,総体としてかなり頼りなげで儚げな風情。この毛のこれまでの人生(髪の毛生?),いったい何があったんだろうとひとごとのように不思議でした。うむむ。


とまあ斯くの如く,ちかごろは忘れた頃に発見してはうちひしがれるぐらいの頻度で白髪を見かけるようになりました。思い起こせば自分の白髪との初めての出会いは1年半ほど前。知多半島の先にある某島で某えも氏に発見されたのが1本目でした。その後2度ほど,初回とほぼ同じ所から(よりによって分け目なんですけども)生えているのを見つけて,その度に鏡と格闘しては抜いてきたものですが,今回はまったく別の場所だったので,ショックもひとしお。これはもう氷山の一角化しているのであろうと。


年が明けたら数えで33(俗に言う本厄)になるので,今更白髪の1本や2本珍しくもない年齢になっているのは認めざるをえないところではありますが,とはいえまだまだ自分の髪の毛に黒くないヤツがいるという事実は受け入れがたく,今日もその毛をごみ箱直行ではなくわざわざクリアファイルの間に挟んで抽斗にしまい込み,ことあるごとに(なくても)何度も何度も抽斗をあけてファイルを取り出してはしげしげと繰り返し眺めてしまいました。ふぅ。


ちかごろかなまるも白髪増えたっぽいしなあ。


数えの33というと,自分の母親が33になった年の元日に厄払いの祈祷に出かけていったときの記憶が蘇ります。さすがに詳しいことまでは覚えていないけれど,自分が(たしか祖父あたりに連れられて)近所の氏神様へ初詣に行って家に帰り着いたら入れ違いに母親が出かける支度をしていて,「それじゃちょっと行ってくるし」「気をつけて」みたいな感じで1人で出てったような。毎年初詣のときに中で祈祷をしているのは見知っていたので,どうやら自分の母親があれをしてもらうらしい,あれは年齢が決まっていて順番らしい,という話で。


ちかごろよくそのことを思い出します。しみじみ考えてみると,彼女は今の自分の歳でそろそろ小学校に上がろうかという歳の子がいたわけで(その年の4月に小学校入学),当時の自分にとって母親は無条件に上位に位置する大人でおかあさんだったけれど,今の自分に子持ちの大人にあるべき確かさなんてまったくないし,もし今そんなに大きな子がいたら家にいる時間の大半を母親の顔をして過ごさなくちゃならないし遊べないしお洋服も別の意味で気を遣うしとなんかかったるいなあとも思う。ありがとうお母さんお母さんでいてくれて。


逆に,親が小学生の子をもっていた歳になってもまだ就学児どころかあかんぼの予定さえもないことに,そのさらに10年後20年後を考えたときに少々焦りも出始めないといえば嘘になりますが,そこは二十数年時代が違うので単純に比べるものでもないだろうと思うことに。