旅の途中
綺羅星の如きタレント選手が大集結していた。サッカーの知識は15年ほど前で止まっているが,止まっているからこそ,自分が知っている選手がフタケタ集まってチーム作って試合してるなんて贅沢極まりなくて何が起こっているのかわからない。
すでに引退している選手も他チームで活躍している選手も人気テレビタレントも,それからエコパスタジアムを2階のスタンドまでぎっしり埋めた大観衆も,一人の選手のもとに集まっている。
日曜の昼間は金曜にやり残した仕事をしていたから試合そのものは見ていないんだけど,あとで某サッカー番組の特集を見たりネットのニュースを見たりするにつけ,出場選手が豪華すぎて,そしてその誰もが心の底から楽しんでいるように思えて,見れば良かったと悔やまれた。
これだけの人が動いてしまう人ってそれだけでほんとうに凄い。そりゃこの試合だってこれ自体が一つの大がかりな興行で,その場にいる客以外の人間はみんな仕事ではあるんだ(ろう)けど,いくら潤沢な資金があって優秀なイベンター(代理店?)が知恵とコストとコネクションを総動員しても,それだけで「引退試合」というイベントが成功するとは思えない。
人にはいろいろな生き方があるし誰にでも幾度かの転機が訪れる。それでもいつだって他人とかかわらずには生きていけない。まわりの人への接し方をついおざなりにしてしまう自分の将来を思ってぞっと恐怖を感じるのはこんなとき。
これまでの選手生活で多くの人に慕われ信頼を得てきた実績があるからこそ,引退試合の為にこれだけ多くの人が動いて大きな仕掛けができるんだと思う。勝敗二の次のお祭り試合がちゃんとお祭りバカ騒ぎになるのも,名波だけじゃなくピッチの上の人たちがみな日ごろ真面目に鍛錬し厳しい試合をしている歴史があるからで,ファン(サポータ?)だってそれを見てきているから引退試合のお祭り騒ぎを楽しめる。ただふざけているわけではなくて。
どんな素晴らしい選手でもいつか競技生活を終えるときがくる。いつまでもプレーを見たい気持ちはある,プレーをしたい気持ちもきっとある。だけど,それだけが全てではないはず。
限界までプレーヤであり続けようとする人,後進の指導をする人,審判等の関連業種をめざす人,全く別のことに挑戦する人。次に向かう道は幾つもにわかれている。その先がどうなるのかはわからない,好きな道を選べるとも限らない。進んでからもとんとん拍子にいくこともあれば,そうはいかないこともあるだろう。どれが正解でどれが間違ってるとかじゃなくて。
スポーツ選手の現役引退後はしばしば「第二の人生」と言われるが,年数で言えばトップでプレーすることを辞めてからの方が長い。だから,あの場にいたわたしにとっての「往年のアイドル」たちの今のそしてこれからの人生がより充実したものになれかしと願う。
ふつーの人だってみんなそれぞれに人生の転機ってあるものだ。
三十代は,ただ目の前の道を黙々と歩くしかなかった十代とも違い,独り立ちするのに必死だった二十代とも違い,少し生活が落ち着くがゆえに自分の今の選択やこの先の人生に対して迷いや焦りや不安が出てくるころでもある。
道は続いているし人もつながっている。今の自分の日々のふるまいは良くも悪くも確実にこの先に響く。だから未来の自分に迷惑を掛けないように今は今できることをきちんとしてかなきゃいけない。
と……仕事ひとつきちんとできずにずるずる引きずってしかもそれをほっぽらかしてテレビ見てて何をか言わんや。