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プロ野球中継を探して番組表をうろうろしていたら,CS(?)のTBSチャンネルで「愛していると言ってくれ」(1995)の一挙再放送をやっていた。気づいたのは全12話中の第10話の途中。物語もすでに佳境というか修羅場のまっただ中というパートだったが,そこから最終話まで見てしまった。
放送当時とにかくものすごく嵌っていて,毎週放送のたびに,紘子が如何に腹立たしい女であるかについて語り,晃次がいかに素敵であるかについて語りしていたのは覚えている。まわりはいい迷惑だったろう。
機会があればもう一度観てみたいと思ってはいたが,よもやこんな形で実現するとは。今回最後だけ見てしまったので,最初から通しで見るのはすぐじゃなくてもいいかなとは思うけれど。いつぞやレンタルビデオ店で見かけたことがあるが,あれはVHSだったかDVDだったか。
このドラマは「男性が女性を好きである」様を表現している点において,当時のわたしにとって画期的な作品だった。少女漫画ばかり読んでほぼ女性のみと交流していたので,男性が女性に恋愛感情を抱いたりそれを表現したりする場面に出くわすことがほとんどなく,知識として(可能性として)知ってはいても,全くピンとこないでいた。もちろんこの作品以前に見たドラマ作品等でも男性から女性に恋愛感情を告げたり交際を申し込んだりする場面を見てはいるはずだけれど,自分が男性ではないためなのか,これっぽっちも腑に落ちていなかった。しかし,このドラマを見て,男性側が積極的に能動的に女性に寄せている想いが,なんとなく,見えた。ああ,こういうのわかる,と思った。
そもそもタイトルは男性側の心情なんだよな。当時はヒロインを中心に進んでいるように見ていたけれど,今回もそう見ちゃったけれど,男性が主人公の恋愛ドラマだったんだろうなあ。
と,今にして思う。
そして,当時と今とでわたし自身の状況も大きく変わっているにもかかわらず,今見ても,ぐっとくる。思い出とのセットではなくて,ストレートに。髪の毛をなでる指の動きとか,愛おしそうに見つめる瞳とか,心情の率直な吐露とか,回想してるときのうれしそうな時には切なそうな微笑みとか。誰かにそんな風に想われたい,誰かとそんな風に一生懸命な恋愛をしたい。
現実はそんなドラマティックではないわけで,何事もなくいつのまにか作中の彼らの年齢を通り越していた。違うのは,「未来のいつか」にあんな風なことが自分の身の上にも起こるといいな,ではなく,若いころにあんな風なことがあったらよかったのにな,と感じたこと。憧れの対象が,取り戻せない過去の時間になってしまった。
でも,それなりに悪くない20代だったと思ってる。恋愛だってたぶんした。そんなに後悔していない。今だって,たぶんいとおしんでくれているだろう人もいる。要は,憧れはどの時制においたって,憧れであり憧れでしかない。
市井に榊晃次(豊川悦司,でもいい)がごろごろしてるわけじゃないんでね。どれだけ榊晃次にだだはまりしていたか,しっかり思い出した。このドラマを境に,男性の外見の好みや好むポイントが変わったかもしれない。それぐらい影響受けてる気がする。あまりに惚れ倒したために,世間で気軽に出現するトヨエツカッコイイという文言を気軽に容認できないぐらいだった。もっとも,それは彼に限ったことではなくて,昔から他のことでもそうなんだけども。好きな物を好きと言えたり,まわりが好意的に言っているのを,そうだよね素敵だよねと受けることができるようになるのはだいぶ経ってからのことだ。
中途半端に伸びた髪で,いつもよれよれのシャツにくたくたの綿パン,素足にサンダル。ズボンのポケットに手突っ込んで煙草ふかして,姿勢だってお行儀だってあまり良くはない。井の頭線沿いの道を深夜に素足履きのゴムサンダルぱたぱたしながら走る姿の,いったいどこがかっこいいのかと。ツッコミどころは満載なのに,なあ。ああもうちくしょう。
思い出し悶絶しながら寝ますの。