でっかい釣り針


ノイタミナの「屍鬼」を見ています。改編期を迎える今日で1クール終了,3週お休み(一説には遅れ続けるBSが追いつくためとか)。藤崎竜氏の原作漫画もさらに原作の小野不由美氏の小説も未読ですが,ついついネタバレを探してしまういらちな性格。


それはそれとして,今日のエンディングがまるまる第2クールの予告編と思われる映像。久しぶりにそっち方面の電波を受信した。電波強すぎるので,貧弱なアンテナでも大丈夫(何が)。


太い釣り糸ついたでっかい釣り針が見えるぐらい,徹ちゃんも夏野も(数字板的に)ヤバイ感じでしたが,さてどうなるのか。


ていうか今日すっかり忘れてて開始5分見逃したんですけども,先週の話は一旦棚に上がってたみたいなので,良かったのか悪かったのか。


沙子さんのお洋服はかわいい。沙子ってかわいい名前だよな。「沙」の訓読みが「すな」なのを知らなかったので,最初読めなかったけど。


「さばく」は砂漠じゃなくて沙漠なんだけどね。「砂漠」という表記が砂漠=砂砂漠のイメージを強める一因にはなっているだろうし(定義の誤解にもつながりかねないし),表記そのものが「砂砂漠」というよくわからない事態になっている。


常用外漢字の常用漢字へおきかえは識字率をあげるのに一役買ったのだろうけれど,手書きが減ってどさくさのうちに常用外漢字の出現率が上がっている今,用字を元に戻しても良いのではないかと思っている例はいくつかある。


この話しつこく書きすぎだなあ。


言葉というのは元来音であり字ではない。と最近は考えるようになっています。とくに日本語の表記に使っている漢字はもともとはよその言語から借りてきた文字で,しかも表意文字だったからいろいろとややこしいことになる。言葉がちがえば,概念やものへの名前の付け方,切り分けかたが異なって当然で。


分かち書きをしない,表音文字の数の少ない言語でいまさら漢語(漢語風和製熟語含む)以外全部かな書きなんてしてみてもとても読めた物ではないだろうけれど,動詞や形容詞や副詞の同訓異字の用字の使い分けに悩む度に,日本語で同じ音ならもともと同じことばのはずなのに,たまたま大陸では異なる単語だったからってそれにひきずられて使い分けに頭を悩ますなんて損じゃない? と思う。


もちろん漢字でかき分けることで意味を限定することができ,文意を理解しやすくなるので,漢字をあてた方が絶対楽なんだけれど,日本語では大きな違いがないものまで,あっちが正しいこっちは間違いってやってるのは,エネルギーの無駄遣いでしてね。


話が逸れたぞー。そして2時半。つまり「砂漠じゃなくて沙漠」と言いたい自分と,「どっちだって『さばく』なのに,なにを細かいこといってんの?」と言う自分とが混在しているのです。