6月ですね


道端の紫陽花のガクも少しづつ色づいているよう。今日(1日)の日中の気温は摂氏15度程度との予報だったので,ウールのカットソー(薄手ニット?)にジャケット,ストール,タイツ,スプリングコート,鞄の中にはカーディガンと万全の出で立ちでした。


今年は5月のうちに梅雨入り。関東地方ではかなり珍しいとのこと。


ここ数年は誕生日が近くなると物思いにふけりがちになっていたのだけれど,去年あたりからいよいよそこから抜けだしさえもしつつあるような。たいてい暦年が変わる頃から「こんどの誕生日で○歳」と意識しながら過ごしているので,5・6月頃には物思いにふけることに飽きている。長い間意識しすぎてその時点での正しい年齢がどちらだったかわからなくなり,今年などはうっかりもう1歳歳を取る気だった。まだまだ。


誕生日の代わりに暦年の変わり目近くの方がどんよりしているかもしれない。「年があけて誕生日が来たら○歳になる」といちばん意識しているのはその頃。去年の暮れ1か月ぐらいはかなりどよどよしていた。


誕生月の6月は大好きだし自分の誕生日は嬉しい。誕生日というのは自分を産み育ててくれた世の中や身の回りの人々に感謝し,また次の一年の自分の平和(とあわよくば幸運)を祈るための日だとおもっている。日常取り紛れて忘れてしまっているそれらに向き合う数少ない機会。記念日なんてどれもそんなものかもしれない。


そして歳を取ること自体もけして厭ではない。でも一方で残された時間や今後の自分の行く末を想い焦りや不安に駆られることが多いのも確か。今のままでいられはすまいと想っているのに具体的な人生設計は何一つない。でも人生を設計しようとしない。そんな自分に対する曰く言い難いもやもや。


驚くべき事にNHKラジオ講座の「まいにちイタリア語」と教育テレビ改めEテレのイタリア語は,6月の声を聞いているのにまだどうにかこうにか細々と視聴を続けている。とはいえ旅行から帰ってきた瞬間から,自分でもびっくりするぐらいあからさまにモチベーション下がっている。


定冠詞と不定冠詞と前置詞が難しい。文の基本的な構造は英語とかなり似ているがゆえに,数えられない名詞に定冠詞がつく感覚など英語と異なる部分がネックになってくる。


白水社の「○○語のしくみ」というシリーズが色々出ていておもしろそう。