夫が姓を変えました


続きです。


2012-02-29 - 1000万人都市の片隅から


婚姻届を提出したときに妻の氏を選択しました。


(旧姓)タケルンバ卿と同じく,夫も婿養子ではありません。単に妻の氏を選択しただけです。夫とわたしの両親との間に親子関係はありません。


いわゆる謄本を見たことはありませんが,我々夫婦の戸籍はわたしが筆頭になっているらしいです。あれ,氏の選択をしたほうが筆頭になるんですって。本当かしら。都市伝説かしら。


本籍地は妻の結婚前の本籍地とほぼ同じです。土地の登記上の問題で同じ番地では登録できなかったので,番地だけ異なっています。


ここに至る背景や考え方は,わたしと夫ではずいぶん違います。全く考え方が違うのに実際の選択について意見が対立せずこの件でもめなかったのはほんとうに幸運だったと思います。

妻の事情


わたしはいわゆる一人っ子で,物心ついたときから「うちの跡取り」と言われ続けて育ちました。べつに旧家でもなければ土地持ちでもありません。とくべつな職能もありません。それでも将来はオムコサンをもらうんだと思って育ちました。両親が見合い結婚で父が婿養子なので,自分も同じような道を辿るのだろうと。


ですので,もともとはリベラルでもなんでもありません。旧民法的「家」感ばりばりで,単に女子だったから世間一般で言われるところの「嫁入り」「嫁取り」の男女が逆になっていただけです。身近には自分の両親だけでなく,近い親戚にも婿取り事例がありました。


しかし,大人になるにつれ,だんだん主旨がねじれてゆきます。成長にともなっていろいろな人とかかわっていくにつれて,現行の法律上は存在しないはずの「家」の概念が自分の中で薄れていきました。一方で,自分の姓は変わらないものとして育てられてきたわたしにとって,世間一般の「女は結婚したら名字が変わる」決めつけはかなりいまいましく感じられました。


結果,十代の終わりから二十代にかけては,どちらかというと夫婦別姓支持でした。自分が結婚してもしばらくは。今も多少その傾向はあります。


昭和から平成へと時代がうつるにつれ,とくに都市部において旧民法的世界観が変容を遂げているのでしょう。跡取り云々関係なく,単純に「女性=夫のもとに嫁入り」「女性=結婚したら姓が変わる」,女子しかいなければ姓が途絶えるものという考え方が主流になっているように感じます。


推測ですが,核家族化の進展も関係がありそうです。結婚すると親(祖父母)との繋がりが緩くなり,長子と第二子の差もなくなってきた。


それは今の戸籍のしくみとも合っています。細かいことですが,もともと「嫁」は夫から見た妻を指すだけの語ではないはずなのに,今や「息子の嫁」という表現が「息子の妻」と同義で違和感なく通りそうです。


そうして「跡取り」縛りや「家の存続」縛りがゆるくなってきた分,かえって拘りなく,もともと多数派であった夫の名字を名乗るケースが,さらに当たり前のこととして定着してきたように見えます。


ただし,細かいことをいえば,女子しかおらず婿養子をもらった場合も,婚姻届ではほぼ夫の氏が選択されていたと思われます。うちの両親の戸籍筆頭はわたしの父でしたので,都市伝説でなければそうでしょう。わたしが自分の結婚のために謄本を取り寄せたところ,彼は手続き上は一度母方の祖父母に養子として入籍し,それから母との結婚により祖父母の籍から抜けていました。ただしすべて同日のできごとです。


養子の時点でいちど同じ姓になるのだから夫でも妻でもどちらでもいいはずなのですが,「主はやはり男性」というところはあるのでしょう。


わたしの結婚に際しても親(というよりも祖父母)は婿養子を望んでいたようです。しかし,きょうだいのいないわたしの場合,お役所の戸籍インデックスの問題を除けば婿養子に実質的な意味はありません。ならば提出書類が増えて手間が増えるだけということで,さすがにそこは夫も厭がりましたし,わたしも望みませんでした。さきに書いたようにどちらかといえば別姓論者だったぐらいなので。


夫が姓を変えたくない人だったら,今頃どうなっていたかわかりません。今となっては,自分が姓を変えても構わなかったと思えるようになりましたが,それはあくまで自分が姓を変えなかった現実があるからそう思えるものと思います。当時のわたしは頑なでしたから結婚話もスムーズには進まなかったでしょうし,仮に自分が姓を変えたとしてもずっと不平不満を言い続けていただろうことは想像に難くありません。


別姓のまま事実婚をする方法もあります。知っているカップルにもいました。だれも,婚姻届を出したかどうかやどちらの姓を選んだかなんて調べません。しかし我々は事実の伴わない法定のみ婚,いってみればペーパー婚状態なので,このうえ婚姻届も出さなかったらほんとうにただの赤の他人です。結婚を決めた時点で婚姻届を提出することはイコールでした。

(妻の目からみた)夫のスタンス+α


夫のスタンスはタケルンバ卿に似ていると思います。彼は単純に姓に拘りがなかった。3人兄弟の長男でいわゆる跡取り息子なのでこちらは気にしていましたが本人そんなことは全然気にしていない。そういった考えの子が育つということは,周囲も基本的に跡取りやら姓やらにさほど強い拘りはないようで,有り難いことに大して問題視されずにことが運びました。


変えたくない人とどっちでもいい人が結婚するなら変えたくない方を選ぶ。夫の話に拠れば,どちらの姓を選ぶかじゃんけんで決めればいいんじゃないってことで我々もじゃんけんしたらしいのですがわたしは記憶にありません。


姓が変わると多くの手続きが必要です。姓の変更を望んでいない人間がそれらの処理を滞りなく進めるとはとても思えません。平日昼間しか対応していない窓口にわざわざ時間を割いて云々など,ただでさえそれ系の処理の苦手なわたしがきちんとするわけがない。そういった意味でも彼は自分が変えた方が良いといっていました。


結婚後の今は,状況によって使い分けているようです。仕事と彼個人のつきあいにおいては,開始時期にかかわらずいわゆる旧姓を名乗っているようです(さいきん友人関係は「かなさん」の方が通りがよいようですが)。今の職場に就職したのもPh.D.を取ったのも結婚後でしたが,ありがたいことに仕事上の通り名が通りやすい業界のようで,もとの姓のままで通っています。


たしかに旧姓ではあるのですが,旧姓というには現役で通用しすぎていて馴染まない。運用上は通称とかペンネームの感覚です。実名登録じゃないとアカウント削除されると専ら噂のFacebookにおいては……明言しません。


ただし,元の姓に拘りがあるわけでもないのでふたり一緒に行動するときは新姓を使っています。ほかにもお役所とか家の賃貸契約など「本名」が必要な場面,銀行やクレカの口座関係は新姓(両方持っていましたが今は新姓メインの様子)。


わたし自身は別姓支持に偏っていたので,彼の姓が変わることも少し不納得でした。名前なんてなんでもいいと思う人もいればそうでないと思う人もいる。たまたま意見があえばいいけれど,平行線になると相容れません。


夫婦間でこの話題になるとき,姓を変える経験をした夫が言うことには,世の多くの男性は,自分の姓は変わらず必ず女性が変えると信じて疑ってもいない。男女が対等であるのなら,可能性ぐらい考えてもいいと思うし実際にやってみればいい。と。


自分が変わる可能性を考えず,また,手続き実務に於ける不便を体験もせず,ああでもないこうでもないと言うだけなら簡単です。わたしは不便を体験しなかったのであまり何も言えなくなりました。


結婚直後は,わたしの家に届く郵便物の姓が変わっているものもありました。親戚やら近い友人やらはわたしの姓が変わっていないことを知っているので,一連の結婚イベントでお世話になった業者さん関係でした。住所とファーストネームしかあっていないのにちゃんと届けてくれる宅配業者さん(郵便さん含む)は凄いですね。


事実ほとんどのケースは女性の姓が変わります。不明な場合は多数派に揃えておくのが無難ではあるけれど,それが多数派と思われて確認もされない風潮じたいはやはり気に入らない。なぜ女性というだけで。とは思います。裏返して,姓が変わっていない=結婚していないと判断するクチにも。どーでもえーやん。

で,なんかいいことあったの?


まだわたしがとんがっていた10年ぐらい前,一人娘である知人が結婚して姓が変わるときに,彼女に噛み付いたことがありました。ですが,彼女が言うには,名字が一緒かどうかなんて問題じゃない,と。


実際その通りで,彼女は自分の両親の近くに住んで両親の世話(という言い方が適切かはわかりませんが)も積極的にしています。


わたしは姓を変えませんでしたし本籍地も実家の地番に置いています。たしかに母親も祖父母もそれを願ってはいました。ですが,ほんとうにそれだけでしかなく,実質的に跡取りらしいことは何一つしていません。年に一度しか顔を出さないし,その間電話やメールや手紙の往復もない。結婚して6年経っても次代の跡取りを産む気配もない。


彼らが願っていた「跡取り」像は,今の状態ではないと思います。


姓を変えていても同じような生活をしているでしょうから,姓と本籍地を残していることを「せめてもの親孝行」と考えることはできますが,ほんとうはもっと近くに住んで頻繁に顔を出したり話を聞いたりすることのほうがいいに決まっています。ひ孫の顔が見たいとも言われます。わたしは姓を変えなかったことをエクスキューズに,実のある孝行から逃げている。

公と私


Facebookの実名登録騒動を横目に見ながら感じたのは,【「本名」「実名」って何?】ということと,もう一つ【何が「公」で何が「私」だろう】ということでした。


夫の社会生活のほとんどはいわゆる旧姓で行われています。少なくとも仕事においては全て。Ph.D.も取りましたし,この度無事本も出ました。


法的ではないけれど公的ではある。それを本名・実名ではないというのは変な話。7年前までは本名だったのだし。


彼自身は名字に拘りのない人なのでWネームを楽しんでいるようですが,世の中には人生の途中で姓が変わる人はたくさんいます。理由は本人の結婚だけに限りません。彼らにとってでは本名とは何か,名字とは何か,と考えると,名前なんてものは,周囲がその人個人を個人として識別するためのラベルなので,1人の人間に1つとは限らないし1つでなきゃならない理由もない。多くの人に認知されていれば,それはもう,どれが「本名」なんて気にするのはナンセンスだろうよと思うのです。

変えない自由も変える自由も。


話がとびますが,ウチの職場では,仕事上で使う姓を途中で変える人がほとんどいません。60人ぐらいのカイシャで入って11年になりますが,その間姓が変わったのは知っている範囲では離婚で1人と結婚で1人だけです。わたしが入る前まで遡れば姓を変えた人も多かったようなのですが,今では「結婚した」という情報(さえも近い間柄でないと知らないままになるわけですが)を耳にしても,姓が変わる可能性なんて考えもしない。


女性の多い職場なので,結婚している女性は多い。この11年で結婚した女性はすでに退職した人を含めればわたしが知っているかぎりでもゆうに二桁に乗ります。よって,戸籍上の姓と仕事上の姓が異なる人が山ほどいます。結婚していて戸籍上の姓と仕事上の通称が一致している人の方が少ない。いつだったか健康診断の受診者名簿を本名で作成されたときには,どこの職場のリストかわからないような事態になっていました。たまにクレジットカード会社などから在籍確認電話がかかってきたとき,うっかり「その者はおりません」と返してしまうトラブルもごく稀に発生しなくもない。


姓が変わるということはIDの連続性という点で多少の不便が生じます。うちの職場は通称使用が認められているのでその点は便利です。ただ,在籍中の異動でなく入社時点で通称希望が通るのかどうかはわかりません。


しかし,一方で,今少し懸念しているのは,途中で姓を変えたい人がいても変えづらい雰囲気になっているんじゃないかということです。結婚して姓が変わることを大切にしたい人もいるはずなのに,周りが「仕事上の姓は変えないよね?」と勝手に決めつけてしまうのは避けたいところです。


このところまた若い女性従業員も増えていて,ぽろぽろ結婚話を聞かなくもありません。今後「姓が変わります」と言った人にたいして,うっかり「なんで変えるの?」などと不躾なことを聞かないようにしなければと思っているところです。


変える自由も変えない自由も尊重される世の中になればいいのに,と月並みなことを。