5分だけ昔を懐かしむ


おそらくいい加減東海大男子バレーボールチームが好きなんだろうと(認めろよと)思いますが,そんな感じで黒鷲旗が終わりまして。


すぽなびにサントリーのメンバーとして出場した越川に関する記事が載っていました。筆者は田中夕子氏。


取材したのがグループ戦2日目の対東海大戦の日だったようで。


記事の主旨についてはおいておきます。主旨たる部分に思うところないでもないし記事自体にもいろんな見方がありましょうがそこはそれ。


あえて本題から目を逸らして残るのは,試合終盤に越川にノータッチエースを許して(サントリーにマッチポイントとなるアドバンテージを取られ)苦笑いしたという東海大星野のコメント。あの場面であんな強いサーブ打てるなんてと。


この試合自分の手元のメモは27-27で終わっている(某精密機械は25-25で止まっている)ので,第4セットの最後らへん,ほんとになんの記録もないんですよね。しかも,自分が引き起こした突発的事態に動揺していたから試合自体ちゃんと観られていないし覚えてもいない。29-29で越川にサーブが回ったと推測されるのだけれど確証が持てない。


そこでどこかに試合の(特に終盤の)詳細が転がっていないかと,少し検索をかけてみたのですが,著しく低い検索能力が災いして,何もひっかかりません。


余談ですが,最近試合そっちのけでメモばかりとっているのは,自分が観ることができる試合は自分自身で記録しておかなければ(ネットの大海から)探すのはそうとう困難であると感じているからです。本末転倒の域に至っているキライがあるのが難ですが。


で,調べてみたんですけど,なかなか見つからない。かわりに引っかかってくるのは2年前2010年の第59回大会がらみ。このとき東海大はおそらく,ぷれみあではサントリー豊田合成と同グループ。サントリーにフルセット負けし豊田合成に勝って準々決勝に駒を進め,準々決勝でJTにフルセット負け。府立体育館の観客を大いに沸かせたと,当時九州某所で休暇を満喫していたわたしの耳にも入ってきたのを思い出します。


その大会の直後のすぽなびのコラムは「大学バレーの名門,東海大の強さの理由」というタイトルでした。わたしがことある毎に引き合いに出している大矢さんの「本当はヒデと2枚でサーブカットをした方が安定するんです」発言のソースはここでした。今改めてこの記事を読んで,じゃあ大学時代一度もレセプションに入らなかった小澤さんは,ともやもやした気持ちになったのはまた別のお話。それから,星野さんの,ビハインドのセット終盤でこそサーブで攻めなきゃね☆ 発言も見られます。


2年後の今年の黒鷲グループ戦でこの2チームとふたたび相まみえることになり,豊田合成にはストレートで,サントリーにも1-3で敗れ,グループ戦で敗退。それもサントリー戦は1-2で迎えた第4セットで先行し何度もセットポイントを握りながら,最後の最後に思い切りサーブで攻められて。場面場面では良いところもあったけれど,特別目を引くほどのものでもなかった。この試合が始まるころ明治大がJTを破っていたのに比べれば,大学チームまあこんなものかな,といった程度の。


つべに転がっている2010サントリー戦の最終セットは清野(現ジェイテクト)がオポジットで出ていて,同じく転がっているJT戦の最終セットは小澤(現JT)がオポジットで出ている。この大会は何故か塩田(現サントリー)がお留守番で,MBの対角は阿部だったと聞く。それなりに選手層が厚く,そのうえで1番をつけている八子(現JT)の存在感が際立つ。


たしかにこの年の東海大は強かった。春も東日本インカレも秋も全勝優勝。春だか秋だかのリーグ戦の最終戦で明治がフルセット負けした以外フルセット試合さえもなかった。そのころわたしは全力で順大に夢中だったので,憎たらしいとしか思わなかった。


その翌年思うところあってここの選手を1人追いかけていた。実質半年,その間ことある毎に八子の存在(不在)を意識した。前年の彼の輝きは八子の存在あってのものだったのかしらなどと(輝いてなかったということじゃないんだけどうまく書けない)。


それだけ強かったチームが大学10冠がかかっていたその年のインカレでベスト8敗退(世間的には充分立派な成績だけれど8年ぶりぐらいで決勝進出を逃した)というのは何とも皮肉で,ゆえに翌2011年の60回大会には彼らは出場していない。


今年3年ぶりに黒鷲旗大会を観戦した。代表メンバー不在という状況ゆえのあれやこれやに期待して,結果はああだったんだけれど,いずれにしろ,観戦中の自分の心の寄せどころや客席(客層)に対する驚きを通じて,自分のスタンスが3年のうちにずいぶんと変わってしまったことを感じていた。


3年前はNECの最後の試合を観に行っていた。今年表彰式で優勝旗準優勝旗の授与のとき,あのチームの名前が刺繍されたリボンがひらひらこちらを向いていた。


あのときの寂しい想いはもうほとんど消えている。そして,今大会はぷれみあそっちのけで大学やチャレンジのチームばかり応援していた。


3年間で,ずいぶん遠くへきた。自分が今どこにいて何を見ていて,この先何を見ていくのか自分でもわからないけれど。昔を懐かしんでも昔には戻らない。大学だけじゃなくて。黒鷲旗の6日間はいろんなものがぎゅっと府立体育館の1週間に詰まっている。笑いもあり悔しさもあり悔しさもあり悔しさもあり涙もあり。喜びも楽しみも。


5分のつもりが60分。おやすみなさいまた明日。