バレーボール観戦と私


タイトルそのままです。あまりまとまらないのですが,大学が年度変わり目のオフシーズン(強化期間)である今,Vリーグもちょっと中断していた年末年始に,自分のメインフィールドではない高校選手権を見たり「ハイキュー!!」単行本の4巻を読んだりしてつらつらと頭に浮かんできた断片を掬い上げて,残しておきます。

観戦中毒


2012年はバレーボール観戦に明け暮れた年だった。年末年始にバレー成分を抜いた生活をしてみて,自分の異常さに気づく。


それなのに帰京の1月6日には予定していなかった春高バレーの観戦のために羽田空港から直接さいたま新都心へ向かった。


こうなるとちょっとした中毒。


行ける試合に行かないと不安になるレベルの。能動的で積極的な観戦動機ではなく,強迫観念のような義務感のような。


たとえば,今季予定されているVプレミア男子の東京大会。1/26の墨田区総合体育館と2/16の大田区総合体育館は,他の予定(平たく言えばライブ)が入っているので行けない。ここで「行けない」という表現をするのがもうオカシイ。


自分にとってのバレーボールの生観戦がイコールVプレミアだった数年前であれば,1シーズンに数度しかない機会を自らの意思で逃すことについて「もったいない」と感じたり他の予定を入れることを躊躇ったりする気持ちも理解できる。


しかし今や,年間の試合観戦日数が70日になんなんとする勢いである。1日や2日大勢に影響はない。Vプレミアにそこまで強い思い入れもない。ニコニコ生中継も入るようなので,タイムシフトで観ることもできる。両大会とも,翌日曜は観戦を予定している。だからこそ他の予定を入れた。けしてライブを優先したことを後悔しているわけではないし予定を変えるつもりもさらさらない。にもかかわらず「行けない」感覚や「行かないと決めた自分への(根拠のない)罪悪感」が消えない。


いったい何が心残りなのか,冷静に考えて,全く理解も共感できるものではない。


去年の第4四半期は,こういう心理状態に陥りがちな状況をまずいなあと思いながら,抜け出せないどころか深みにはまっていった。他のあらゆる余暇活動や,ともすればやらなければならない用事さえも切り捨てられていく。


2013年は自分を律し節度あるお付き合いができるようになることを目標にしたい。真面目に。

見る目


観戦数はこなしているけれど,観戦スキルは低い。


たとえば,初めて見るチームの試合があるとする。誰か気になった選手があるかと訊かれる。そこで具体例を挙げるとびみょうな反応をされる。


自分は(・∀・)イイ!!と思ったけど,そのチームならその人じゃないだろ,みたいな。


或いは,試合を観ながら延髄反射レベルで適当なことを書いて「kwsk」されて手が止まる。


またあるときは,一緒に見ている人にフォーメーションやプレーについて指摘されて初めて気づく。褒めたりダメ出しをしていることに得心がいくがそれは自分の当初の印象とは異なっている。


ラインのIN/OUTやホールディング等のオポネントエラーが,見てもわからない。


そういうことがしょっちゅうある。そしてその度に「自分,わかってないなあ」としょんぼりする。


観るセンスがないんだと思う。これはもう絶対的に。後天的にある程度伸ばすことはできるけれど,そもそものベースや相性のレベルで,向いてないんだと思う。


だからと言ってセンスのなさを補うための努力も勉強もほとんどしていない。


遊びだもの。苦しかったり辛かったりしんどかったりして,それを乗り越えた先の歓びを得ようとまでは思えない。そういう気質があったらたぶん何か違う趣味を持っていると思う。


でも,この3年間で「知ってると観戦がちょっと楽しくなる」知識がたくさん増えた。


だから,少なくとも観戦を「楽しんで」はいる。

何が楽しいの


  • 点がたくさん入るのが楽しい。
  • 応援したチームが勝つのが楽しい。
  • 選手がかっこいいのが楽しい。


ひっきりなしに点が入るのが楽しい。一試合で最低でも75回も騒げる競技ってそうそうない。バスケでも140点はあまり見ない。


書いてて思った。逆に,だからこそわかりにくいのか。


点がばんばん入るから各々の1点は勝利に直結しない。ブレイク*1しないと勝てないのは明らかでも,ブレイク数がイコール得点ではないので,1セットの組み立て(セット取得条件)は複雑だ。例えばサイドアウトを繰り返し繰り返してセット終盤のココというポイントに絞って少ないブレイク率でセットを取る作戦もある。逆にセット終盤から得意とするローテーションやパフォーマンスの良い選手を利用して連続得点を重ね,苦手なところはそのチャージで凌ぎながらできるだけ早目にセットを終える作戦もあるだろう。前者と後者では一つのブレイクポイントの重さが違うように感じられる。実際には等しく1点でしかないのだが。そして,観客にとっては試合全体のうねりどころ,つまり,どのあたりで勝負をかけて応援していいのかが見えづらい。


もっともわたし自身は,そういうことはほとんど意識せず,1点ごとの得点を楽しんでいる。


自覚していないが実はそこそこ(かなり)黄色い声を出しているようだ。


興奮すると無闇に叫んでいる。手に汗を握ってハラハラドキドキ。それを何度も味わえる。


点が入った時,得点を決めた選手が後ろ向いてガッツポーズするのがかっこいい。コートの真ん中にみんなで集まってぎゅうぎゅうしているのが好きだ。アップゾーンのハイタッチもかわいい。


「かっこいい」「かわいい」と表現するとき,その人の外見の占める割合は大きいけれど外見だけではない。


たしかに顔はある。顔が好きな選手もいる。ほとんどそうと言っても過言じゃないぐらい。でも純粋な骨格や造作じゃない。内面は表情に出る。その表情のはなし。


テレビとかアップとかと縁がない界隈の試合を観ることが常になったので,間近で顔を見ても認識できないであろう選手も増えた。背番号入りのユニフォームとプレーと体型をセットで認識している。


高く跳ぶ選手が好き。


反った空中姿勢が好き。

試合後のお楽しみ


居酒屋で一杯,の話ではなく。それもあるが。


一人観戦がめっきり減った近頃は,○○さんかっこよかったね(*´∀`*) と言い合ったり,写真を見せてもらってきゃあきゃあしたりという楽しみも大きい。


それはそれとして。


最近はあまりしなくなったが,益体もないことをあれこれ考えるのが楽しい。バレーボールに圧倒的に詳しくないし,想像と実際は違う。だから考えても何かの役に立つわけではないのだけれど,それがわかっていてもだらだら考えて自分なりに因果関係を考察したり何かしらの推測を立てる行為そのものが楽しい。この文章をつづっている今も,本題そっちのけでサイドアウト制からラリーポイント制への変更に伴うサーブ権有無の価値の違いなる無意味な考察に話題が逸れそうになっていたところだ。ぐちゃぐちゃ書いていたが,論理的に整合が取れなかったのですぱっと削除した。

セットプレー


バレーボールはセットプレーの競技。セットを取り合うという得点配分の特徴でもあるし,すべてのプレー(ラリー)がセットプレーから始まる(厳密には違うのだろうけど)という特徴もある。


後者については,ラリー毎に仕切り直し,考え直す時間がある。プレーヤも観客も。


サーブの直前に各々のプレーヤが立っていられる位置は決まっている。サービスのボールが放たれた瞬間に,両方のコート上の人々が一斉に動き,次のプレーに進む。レセプション側の最初のアタックは,たいていは事前に決めておいた作戦に基づいて遂行される。サービス側はその動きを見ながら,或いはこれまでの実績等をもとに事前に作戦を立てておいて,ブロック&レシーブを行おうとする。


処理能力が追いつかないわたしは,それらを予測したりプレーと同時に見極めて評価するような楽しみ方はできない。そのあたりは野球観戦におけるピッチャーとバッターの勝負に似ている。球種もコースも外野からじゃわからないので放棄である。


ボールがサーバーの手をはなれてからレセプションアタックで床付近に到達するまで,だいたい6秒ぐらい。9m×18mのコート内で12人の人間と1つのボールが動く。目が追いつかない。でも楽しい。

ラリーが続くことの面白さとは


圧倒的なレセプション側優位でほぼレセプションアタックでそのラリーが終わるような展開だと,面白くないと言うよりも25点では足りないと感じる。


サーブが単なるラリーのスタートではなく最初の攻撃であるとして。


トランジションの短い時間でのセットプレーの立て直しに萌える。


ボールを落とすまいと飛び込むディガー,スパイクに繋げようとするパサーに燃える。


虎視眈々とボールと人の行方を追うブロッカーに痺れる。


たぶん。


しかし,相手コートに入れるボールが攻撃になっていないが故に継続する長いラリーはつまらない。

実地以外で表現すること。


難しい。文章書きが唯一の趣味と言えるような人間だけれど,楽しさや面白さを表現することは難しい。


自身の行動を客観的にとらえてみて,わたしはおそらくバレーボール観戦が好きだし,対象となっているバレーボール競技も好きなんだと思う。後者については,バレーボール「選手」である疑念はある。前者についても,「いつかすっぱり見なくなるだろう」という予感は常に持っている。No Volleyball, No LIFE. ではない。これはもう確実に言える。生活が変わったら,きっと体育館に足を向けることもなくなり,「なんであのころあんなに熱心に行っていたんだろうねえ」と懐かしく邂逅するだろう。


しかし,先のことはともかく,今は熱心に見ている。熱心に見ているけれど,どこに魅かれているかは自覚できていないし,ましてそれを表現することもできない。


だから「ハイキュー!!」はすごい。あれは面白いです。本当に。バレー漫画で少年漫画で面白い。


カメラの位置が変幻自在なのが漫画の表現豊かなところだ。


トスの瞬間を後ろから俯瞰でアップでとらえているカットは,目新しいし,めちゃくちゃかっこいい。ブロックの瞬間をアオリで寄って撮るのは,実写ではほぼ不可能に近い。


友情ありライバルあり,敵のインフレありと,王道少年スポーツ漫画のお約束はおさえている。そして,主人公や周りの人たちに,実際にできるのか難しいのかわからない(つまり,できそうな,やってみたくなるような)ラインを突かせている。


顧問を競技に不案内な先生にすることで,先生に説明する体裁で読者にルールやレギュレーションやオーソドックスな戦術を解説し,素人に毛が生えた程度の初心者という設定の主人公に目線を合わせ共感することで,基礎的なスキルの難しさや到達したときの達成感を味わう。ハイレベルな他の選手やチームを使ってレベルの高いプレーを見せる。主人公に寄り添ってみればそれがむちゃくちゃすげえしかっこええ。

ハイキュー!!」を読んでから実際の試合を見ると,ふだん何気なく流している一つ一つのプレーが,鮮やかに輝きを放って見えてくる。


楽しく読んでいるけれど,やられた,と思っている。


自分が書いたものでも,楽しそうと感じてもらえると,いいけどね。もともとそこはあんまり目指してはいないけれど,結果として。しかし無理なものは無理。楽しいこと面白いことを書くことは簡単じゃない。書くことを楽しむのが自分にできる限度かな。


なお,今のところ,当該作品に関してそっち方面には手を染めていません(謎)。

*1:バレーボール競技に於いては,サーブ権を持っているチームが得点すること