たぶん片想い
小学校6年生のときに担任が言ったことの中で,今も折に触れて思い出すことがある。
彼には趣味の友達がいる。相手が自分のことを友達だと思っているかどうかは知らないけれど,自分はその人を友達だと思っているから友達なんだと。
たしか幾つか年上だったのかな。一学年の違いがものすごく大きく感じられる小学生にとっては「友達」と呼べる感覚がぴんとこない年齢差だった。
それから四半世紀が過ぎて,とくに趣味の領域に於いては,インターネットを通じた交流/ネットをきっかけとした交流が,(少なくともわたしには)すっかり主流となった。そこでは,IDに付随する属性の出し入れを,自身である程度コントロールできる。
名前,年齢,性別,経歴,外見,出生地,居住地,いろいろ。
それらのほとんどは,趣味の話題についてやりとりをする上で直接的には必要ではない。だから知らないままの人の方が多い。
しかし,直接会う機会を得て,顔を知り,話をする回数が増えてくると,端々から得られるそのほかの情報も次第に増えてくる。
それでも,学生時代の同じ時間と空間をべったり共有していた間柄のような情報量の濃さにはなるはずもなく,共通の話題だけが濃くてあとはまばらな状態。
そうすると,なんか,うん。
友達作りは主目的ではない。あくまで,趣味の対象を楽しむことを第一としたい。そのことが,ブレーキをかける。
そして,相手のことをほとんど何も知らないのに,歳も離れているのに,友達と思っていいのだろうか。とも思う。
もじもじしてしまう。
いまだに対人コミュニケーションが苦手で,もじもじして自意識過剰になって,適切な発言や行動を取れなくなる。
変に斜に構えたり発言がねじ曲がっていたり。
自分が傷つきたくないがためだけに張る予防線の真意が相手に伝わるわけがない。
そのことを,開き直っておしまいにしたらいかんのよ。訓練されないままここまで来ているからそりゃそうなんだけど,そんなこと知らないよ。
そんなこんなで反省と自己嫌悪でちょっとずぶずぶしているのだけれど,
わたしはあなたのことがすきだとはなかなか言えない。「で?」っていうはなしだし。
良い印象をもってもらいたい,嫌われたら辛い,というようなことを,うまく,感じよく,「で?」ってならないように伝えるのも難しい。
なんていうか,そうじゃなくて,わざわざそんなこと宣言してもあまり意味がなくて,
ふだんのやりとりで,相手のことを考えて,発言の意図を酌んで,相手にとって適切な応えかたをすること。