「大好物ではないけれど嫌いというほどではないし美味しいと感じるし,ときに進んで食べることもあるけれど進んでは食べないことのほうが多い」を完結に表す表現がほしい


食べ物の好みの話です。


その前に。前回書いていた「面白くも何ともないオーダー」は,選手やオーダーが面白くないわけではなく,自分の発想がありきたりでつまらない,という意味です。念のため。


さて本題。


もう2週間ほど前のことになるが,友人と晩ご飯を食べる前に,うっかり勢いで「魚キライ」と口を滑らせてしまった。


結局海鮮が豊富な居酒屋に行ったし,そのことは不服ではない。我慢しているわけじゃない。


言葉が過ぎたと大いに反省している。けして,嫌い,ではないんだよなあ。この感覚を表すのが難しい。


これをずっと考えていて,今さっき,子どもなら「ふつう」って表現するかな,と気づいた。


好きでも嫌いでもないから「ふつう」。世の中,好きか嫌いかに二分はできない。


大人になると,という書き方は適切でないかもしれないけれど,好みを訊かれて「ふつう」という答えは返さないような気がする。それはおそらく一つは語彙(の発達)の問題であって,大人の会話の中では「どちらでもない」「どっちでもいい」「別に」「大丈夫」あたりの答えになるか。話が逸れるが,ここ十数年の「お疲れ様」と「大丈夫」の活用シーンの広がりと汎用性の高まりはなかなかのものがある。


わたしの小学校4年生までの通知表は,三段階で「よい」「ふつう」「いますこし」だった。表現の幅や語彙がちいさい分「ふつう」がカバーする範囲が広い(使用頻度が高い)のかもしれない。大人の(何らかの試験の)成績表はどうなんだろう。


そして,大人が日常で言う「ふつう」は,「良くも悪くもない中間」の意を表す形容詞よりも,「一般的に」「多くの場合は」の意味の副詞として使われることのほうが多いような気がする。


まあ,「ふつう」でもいいんだけど。一単語で表現するならば「ふつう」なんだろうけど。でも,「ふつう」という言い方も,感覚を的確に表現できているとは思えない。


食べ物だから,という要素はあるかもしれない。外からやってくる(受動的な)物事に対しては「好きでも嫌いでもないよ,ふつうだよ(≒無関心だよ)」で済むところでも,食べ物については,毎日毎食,何を食べるかを自分で決めなくてはならない。だから,能動的に主体的に,幾つかある選択肢の中から1つを選ばざるを得ない。栄養バランスや摂取カロリーを考えて選ぶのが望ましい姿だろうが,やはり「好きなもの」を選びがちだし,仮にそれを心がけたとしても「あまり好きではないもの」はつい避けてしまう。


つまり,そういう背景をふまえた上での「大好物ではないけれどけして嫌いというほどではないし(以下略)」であり,もう少し短く言うと「あまり好きではないもの」となる。


もちろん,食べ物の中でも大半は「どちらでもないもの」「とくに関心のないもの」「自分の選択を左右する要素にならないもの」である。たとえば醤油とか。それらは,難なく「ふつう」カテゴリにおさまる。ここで取り上げているのは,そういった食べ物の話ではない。もっと(自分にとって)複雑で(好きか嫌いかの)取り扱いが難しい食べ物のことだ。「好き」ではないと言っていいと思うけれど「嫌い」と言い切るのは躊躇い,しかし「ふつう」という表現もしっくりこない。


大前提として,人と一緒にごはんを食べるときに表明しておきたいレベルでの「好き嫌い」はない。たいていのものは何でも食べるしおいしく食べる。そのへんは誤解されないでほしい。


この歯切れの悪さは,「あまり好きではない」ものの扱いが難しいからだ。


たとえば食品や調味料,定食の副菜になるような料理の場合。その1つが入っていることを理由に,他のものは好みでも選ばない,ということはある。それぐらいネガ要素になるならば「嫌い」と言って差し支えないんだと思う。「ふつう」とか「どちらでもない」とは言いづらい。


でも,そんな食品や料理でも,残すことはまずしないし,口にしたらおいしいと感じる。だから「嫌い」というのも言い過ぎの感はある。「気が進まない」程度か。


もっと面倒なのは,調理の仕方やその日の気分,ちょっとした味付けの違い(店が違うとか)によっては,むしろ積極的に好んで選択する場合もある,ということ。


好きでも嫌いでもないというよりは,嫌いなときと好きなときがある,という両極端。


要は「AとBを比較したしたら(おおむね)Aの方が好き」の積み重ねによる,おおまかな「好き嫌い」である。絶対的な指標というにはゆらぎがありすぎる。


たとえば,発端となった魚,というか刺身がそれ。幼いころは刺身が嫌いだった。そのころは明確に「嫌い」だった。今は,お刺身を好んで食べることもある。けど,毎日続くのは嬉しくはない。貝類と青魚とえんがわは好物,まぐろは場合によるけれどあまり好きじゃない。白身は概ね無関心。烏賊蛸は鮮度に左右されすぎる。もちろん,おいしくないお刺身は好きじゃない。


じゃがいも。とくに肉料理の付け合わせとしてのじゃがいもが好きじゃない。厚手に切って揚げたり焼いたりふかしたりしたもの。おいしくは感じるから,おおかた一生の摂取量の9割を超えたんだと思う。肉の付け合わせがじゃがいもだけなのは凹む。この十年,食材として家での調理用に買った記憶がない(きっと何回かはあるだろう)。でも,ポタージュスープは今でも大好物。マッシュポテトも好き。コロッケは……無関心組か。ちょっとえぐみがあるしね。


鶏肉。これは「美味しんぼ」案件かもしれない。旨味が逃げてばさばさになっているものを食べる機会が多すぎるがゆえの鶏全体に対する悪印象。鶏があまり好きじゃないからカオマンガイにも触手がのびなかったんだけど,最近初めて食べてみたらめっちゃおいしかった。


書いていくと,居酒屋行きすぎたダケジャネーノという感じがするな。でも居酒屋のごはん自体は大好きで,たまにむしょうに居酒屋飯が恋しくなる。自分がお酒を飲まないからよけいにひとりでは行けなくて寂しい。


あと,蕎麦。蕎麦はもともと食べる習慣がなかったしな。コンビニやスーパーで冷たい麺を売っているのだけれど,蕎麦の割合が高くて(買える物がなくて)凹む。まあ,それでもたまには食べるんだけど,うどん派。もちろんおいしい蕎麦屋のおいしい蕎麦は例外。


そんな感じ。このほかにも自覚しているものでもいくつかある。自覚していないけれど自分の選択を振り返ってみると実はというものはもっとあるだろう。だからどうというわけじゃないんだけども,一言で説明できないのがもどかしい。する必要がある場面もないんだけど。


食べ物の話をひたすら書いていたら,お昼ごはんを食べはぐれそうである。8か月ぶりに美容院に行ってきます。