雪(が降る)景色


朝方の雨は午前のうちに雪に変わった。午後,所用で屋外に出たときには,大粒のぼたん雪が降り落ちていた。


けぶって一面灰色がかった風景に,ほろほろと解けそうな真っ白な雪の粒が,そうはいってもがんがん降っていた。「しんしん」というほど静かではないし「はらはら」というにはしっかり降っている。落ちた端から溶けて水になっていくから,積もりそうでもない。


その様子を目にしたとき,頭の中で,歌舞伎の下座音楽(BGM担当ですな)の大太鼓が鳴った。どん,どん,どん……。


実際に傘にあたる音はぱらぱらと軽い。なのに,なぜか,大太鼓がしっくりきた。歌舞伎の下座音楽では,利根川の流れも大太鼓だし,しんしんと降り積もる雪も大太鼓だけれども,とにかく,そういう符牒的な表現(擬音語的BGMではなく擬態語的BGMとでも言おうか)のひとつが,知識や理屈としてではなく,感覚として身体に入ってきた瞬間だった。


そして唐突に「雪暮夜入谷畦道(直侍)」を思い出した。広重風の雪景色の画とともに。ざっと広重の版画を調べた限りイメージそのものの版画はなかったし,このときの筋書の表紙も直侍をモチーフにしたものではないから記憶で何かと混ざっているのだろう。


「ゆきのゆうべ,いりやのあぜみち」という外題が素敵だ。雪の夜,お尋ね者になっているちょっと悪いお侍。あたたかい蕎麦。ふさぎこんで仕事を休み療養している遊女との愁嘆場。


紐解いたところ,2008年の10月に歌舞伎座で見ていた。片岡直次郎を尾上菊五郎,三千歳を尾上菊之助,按摩丈賀を澤村田之助


芸術祭十月大歌舞伎 | 歌舞伎座 | 歌舞伎美人(かぶきびと)


6年も前のことらしい。話の筋も何も覚えていないが,蕎麦屋のシーンで出てくるのは本物の蕎麦で(歌舞伎座内だか横だかの蕎麦屋から運ばれているとかいないとか)実際に食べているといった話を読むか聞くかしたのは覚えている。イヤホンガイドだろうか。(鰹を捌いたり大根を切ったり,世話物の消え物たちはちまちま楽しい)。


さいきんの菊之助若い女の子ばかり演じてはくれなくなったし,そういえば田之助さんもお見かけしなくなった。この先菊之助の三千歳が見られないとは思わないが(なんせ先は長い),なんとなく,自分が次に直侍を見るときは三千歳は梅枝あたりなんじゃないかという気がしてくる。それか七之助とか。


頻繁にかかる狂言もあるし,同じような配役のこともある。中には映像作品として記録される上演もある。だけど基本的にお芝居はその日その時,その劇場でその舞台が全てで,それっきりのものなのだ。


いずれ近場で直侍がかかれば,機会があれば(座組がどうでも)見たい気持ちになったけれど,2013年に平成中村座でかかったのが最近のようで,そう頻繁にはかからない演目のようす。


残念だ。菊之助の三千歳の舞台写真でも買っておけば良かった。


今まで舞台写真に興味がなかった(わりと前半に行くことが多くまだ売られていない)し,筋書も前半写真なしバージョンでもいいと思っていたけれど,2度がない舞台と思うと,そして時は過ぎ去っていくことを思うと,記憶のよすがとして,あるいは記録として,手元にビジュアルを残しておくのはわるいことじゃないみたいだ。