映画「シン・ゴジラ」から広がっていく,あるかもしれない世界:序
来週水曜に新宿バルト9で上映される(ことが急遽決まったと思われる)「シン・ゴジラ 女性限定鑑賞会議(発声可能)」。発売3分前から待機し0時の発売開始と同時にリロードしまくってチケット争奪戦に参加しましたが,あえなく敗退しました。
3分で完売って……予想はしていたけれど。
この悲しみをエディタにぶつけようと思います。
そんなわけですっかり放置したまま7月が通りすぎ8月も後半になりました。毎年夏はこんなものですかね。あれこれ活動したり活動しなかったりして過ごしています。
8月6日の夜に映画「シン・ゴジラ」を観に行き,それ以来ゴジラにそこそこ時間を吸われています。11日に2回目を観に行きました。3回目は先ほどトライして無理だったので,どうしようかな。でも,公開中にもう1回行きたいんだよなー。
というくらいにはハマっています。面白い。
もともと映画をほとんど見ない,エンタメ情報にも疎い。「ゴジラ」過去作はひとつも見たことがない。事前情報もほとんど知りませんでした。映画の存在も公開後にネットニュースの見出しを見て知ったぐらい。
(このあたりから,少しずつネタバレ入ってきます。いちおうクリティカルなのは避けるつもりだけれども,もはや程度がわからない。そして,これから述べるようにわたし自身がまっさらな気持ちで観て大正解だったと感じているので,「タイトル以外の全てがネタバレ」と思うのです)
沼の入り口(むだばなし)
観るつもりでまだ観てない人はネタバレの類いは読まないで臨んでいただきたいとは口をすっぱくして言いたいのです。そう言いながらこんなもん書いてるのは矛盾甚だしいのですが。
公開から2週間以上経ち,メディアのニュースもすでにけっこうなんというか。観たあとは人と小ネタや解釈やあれやそれやを語りたくなり,ネタバレがあればあっただけの(リピートしたくさえなる)面白さがあるので,仕方ないんですが,ね。
わたしにこの映画の存在を知らせたのは,公開日の「ゴジラ役が野村萬斎だった」というニュース(見出し)でした。役ってどういうことやねんと。ゴジラに配役とかあるんかと。モーションキャプチャーらしいと。
ちょっとキニナル。
そして,どうやら評判がいいらしい。その評価を受けて「人間ドラマがないなどと言われているけれど,女性に受けようとか変に意識するよりクリエイターが作りたい映画を作ることが大事」と言った言説も流れてきていた。そうこうするうちに,監督が庵野秀明氏らしいと。
庵野さんなら釣れるかもしれんと,仕事の都合でたまたまこちらに来ていた夫に軽く持ちかけたら彼も乗り気で,さっそくその日のレイトショーに行くことになりました。
でも気楽なもので,な〜んにも調べなかったし,映画館に着いてからもぼさーっとしてました。ほんとに「庵野監督でゴジラ役が野村萬斎さんで巷で評判の良いゴジラ映画」としか知らずに幕が上がって,それからの約2時間はそれはそれは濃密でした。上演終了後,椅子に深く腰掛けたまま,深いため息が漏れました。たぶん。2時間とは思えない3時間分ぐらいの濃さに圧倒される一方で,2時間があっという間にも感じられる。
疲れます。
あらすじはもちろん,ゴジラ以外の出演俳優もほぼわからずにエンドロールを迎えたのですが,それも良かったと思います。(人間の)主役らしい人を見ながらずーっと「この人,誰かに雰囲気似てるんだけどわからない……」と最後までもやもやしていたくらい。「姿勢いいなー,わたしは知らないけどきっと有名な俳優さんなんだろうなー」って。エンドロールを観て,「あ,名前は知ってた」ってなったやつ。
もちろん,さすがのわたしでも名前がわかる俳優さんも少しはいましたが,いいとこ「見覚えはある顔」程度だったがゆえに中の人の名前ではなく純粋に役柄として観ることができ,それは小さくない利点でした。名前がわかると役者さんを意識してしまうので。いまでもわたしの中で矢口は矢口です。
そして沼へ
自分が実際に観に行って,いちばん良かったというかほっとしたのは,ほかでもない「これでTLに流れてくるネタバレを避けなくてもよくなった」ことでした。公開直後は「観た人が異常なレベルでネタバレしたがらない」作品っぽかったのに数日経つとちょいちょい内容に触れた感想が流れてきていて,ネタバレしない方がいいらしいから避けたいけど,そのうち避けるのが困難になりそうな予感がしていたのです。
一度観てしまえばこっちのもの。ネタバレどんとこい。自分では気づかなかった部分がどうだったかの復習もしたい。そんなこんなで,TwitterのTL経由で,togetterや関連(派生)ハッシュタグに転がり込んだら,そこが底なし沼だった。
ハマる要素は山のようにあるわけです。そのへんは,「新世紀エヴァンゲリオン」ネタで盛り上がっていた二十年前と同じでね。もう仕方ないよね。
映画作品の細部の発見・共有。
描かれている事柄についての解釈,考察。
解釈,考察から発展して,「描かれてないところで起きている(これから起きる)かもしれない」こと。
果ては作品の世界(設定)そのものから飛び出す。
これらについて,がんがん意味不明なハッシュタグが生まれ,育っていく。さながらゴジラ。
1つめにあたる「細かすぎて伝わらないシン・ゴジラの好きなところ選手権」は,この映画の(観た人が楽しめる)深さ・楽しさがよく表れている。あんなシーンがあったこんなシーンがあった,画面の隅っこにこんなものが映っていたあんな人がここに出ていたこんな発言があった。こんな他作品とのリンク(オマージュ)がある,こんな伏線が敷かれていた。
めっちゃネタバレだし,ぜんぜん細かくないのも混ざっているし,ほとんど伝わるんだけど,このタグを眺めていると伝わりすぎて嬉しくなるし,もれなく見逃しているところを確認しにもう一度観に行きたくなる。映画を観た人が,作中に描かれた事実だけでその作り込みの細かさを味わえる珠玉のハッシュタグです。
名セリフ集の「声に出して読みたいシン・ゴジラ」もいいぞ。
2つめは140字(-タグ字数)ではできないのであんまりみないかな。いや,たぶん「シン・ゴジラ」がそうなんだろうな。メインタグだろうに追ってないです。ほかが忙しくて(ぉい)。
3つめあたりから妄想の域。二次創作的なやつです。この映画がよくできていると思うのは,それをしたくなるようにできていることです。何を書いているかよくわかりませんが,映画を観ればたぶんわかります。この作品に限らないけれど,良い作品って,あとを引くというか,作品世界やキャラクタが自分の中で生きて動くのね。
比較的早くに(自分が観る前から)うまれていたのが「巨災対の日常」と「内閣腐」。どちらも「描かれてないところで起きてる」妄想系にくくれると思うのですが,いずれも文字列通りに解釈するちょっと主流からは外れるかな。どちらも書き手は女性が多いんだろうなあという感じの。「巨災対の日常」のほうは,「巨災対」を取り巻く人たちについての空想。必ずしも日常ではない(そもそも,作中に「日常」があるのか)。もともと「作中,描かれていない裏でこんなことがありました」だったのか「事後の日常」なのかはよくわからない。
「内閣腐」は要するに「巨災対の日常」の男性キャラ掛け算特化型。内閣の人も内閣じゃないひともいるけど大河内内閣ネタはあまりない。
それから,自分は追っていないのでよくわからんのですが,尾頭ヒロミ関連が凄いことになってる。そのものずばり「尾頭ヒロミ」というタグもあり,こちらは(おそらく)比較的マイルド。一次考察もあるけど,巨災対の日常から派生したような3次的なキャラ解釈もみられる。元設定を完全に超越してる域を見かけると,不思議な気持ちになる。尾頭さんは好きだけど,ここまでわけわからないことになっているのは想定外で,尾頭さんがそれだけ,二次元(実写じゃない作品)っぽいキャラ造形なんだろうなあと思います。
4つめ枠で最近現れた「平和なシン・ゴジラ」は,ハッシュタグなのでいろんな解釈でつけられている状況ですが,メインは,「(事後に)ミニチュア化した「シン・ゴジラ」と巨災対の愉快な仲間たち」という10000000%妄想です。これもめっちゃネタバレですが,っていうか,もう,めっちゃかわいい。
というわけで,今日はさわり。次を書く気力があれば沼の底で見えるものを。