新しいおうちのこと


3連休,今日は日中は特に予定がなかったので,家にいました。これから市川まで出かけますが。


春に宣言した通り,引っ越しをしました。諸般の事情で詳しくは語りませんが,新しい住まいにも慣れつつあります。


しみじみ思うのは,やはり,快適な住居にはお金がかかるということです。快適な住居はお金で買える,といったほうが近いかな。住居にかかる費用は格段に上がりました。銀行口座から出金する度に残額を見てしょんぼりする日々でもあります。


そのぶん,暮らしは格段に快適になりました。前の住まいにも不満はなかったのです。不満がなかったから15年以上住んでいた。でも,引っ越してみると,より快適な住まいがあることを知ってしまうわけです。ゴミ集積所にいつでも持って行ける,浴室乾燥がついている。お湯を温度で設定できる。お風呂のお湯が冷める心配がないから,入る直前じゃなくても適当にお湯をはれる。宅配ボックスがある(不在通知がこの世の中で片手に数えられるくらい嫌いで通販なんて絶対しないと思ってましたが,かわりました)。駅から近くなったから,買い物のあと一度帰宅してから夕飯に出直すこともできる。買い物も近いから,買いそびれの心配もしなくていい。


広くなり収納力も増えたおかげで,(あくまで今のところは,だけれど)汚部屋化の進行も遅い。食事を取るためのテーブルがある(!)。


お金はかかる。でも,快適。


日々の暮らしとは文字通り日々の暮らしなので,お金をかけて快適を買う価値はあると,今更ですが思いました。わかってはいたけど,引っ越しが面倒だし引っ越しコストがかかるのもいやだったからしなかったんですが,思い切って引っ越して正解でした。(でも,もっと早くにしておけばよかったとは思わない。タイミングの問題というか,そういう縁だったのかなーって思っているので)。


もともと口座残高の数字が増えるのが喜びという人間でしたが(尤もここ10年ほどですっかり使う楽しみを覚えてしまいました),数字そのものはわたしの暮らしを充実させてはくれないのです。何かに換えて初めて効果(?)が得られる。何にでも換えられることがお金の良いところですが,換えなければただの数字です。数字も大事なんだけど!


ところで,引っ越しのために久しぶりに幾つかの物件(の面積)を見たせいか,バレーボールのコートが9m×9mで81平方メートルであるという事実が突然わたしの中に意味を持って落ちてきて,近頃では観戦のたびに思い出されてなりません。


あのコート片側よりも狭い中に自分ちが全部が詰まっている。コートを見る度に不思議な気持ちになります。うち全部よりも広いスペースを,たった6人で守っていること,あの中に居室からキッチンからバスルームまで,全部間取りできること(それでもまだコートのほうが広い)。3歩4歩でダッシュしたら,うちの端から端までたどり着いてしまうこと。考えてみたら当たり前だけど,今でも,見る度に思い描いて間取りを切って,じわじわしています。


もうしばらくしたら慣れるかな。


ときどき,前のおうちを思い出します。近所になぜか猫が多かったこと,うちに時々訪れる一匹がいたこと(この猫にまつわるエピソードときたら)。道中の戸建て住宅街の四季折々の庭木が素敵だったこと。階下に住んでいた大家さん(厳密には違う)一家には,右も左もわからない田舎娘の上京以来,頼らせてもらっていた。


引っ越しの前には,寂しくてしかたなかった。越してもしばらくは,目を閉じれば,「汚部屋」としかいいようがなかった室内の様子をありありと思い浮かべることができました。


いまも,前に住んでいた家の最寄りバス停のあたりを通ることがあり,そのたびに思い出します。「いつでも行けばいいじゃない」と夫は言ってくれたけれど,やはりあたりに用がないあちらを訪れることはそれ以来ありません。


猫,元気にしてるかな。