推しは6歳

2月の歌舞伎座の大きな目的の一つが,亀三郎だった。早生まれなので6歳になったばかり,この春から小学1年生,だと思う。良く分かっていない。自分が「勝手に推している歌舞伎役者」のひとりである。「推しは6歳男子」と言うとなにやらふとどきな感じがするが,要はただの贔屓役者である。


一昨年5月の歌舞伎座團菊祭,坂東家の一家襲名の際に当時4歳で亀三郎を名乗り初舞台。その前にも本名で舞台に上がったことがあるが,いわゆる「お目見え」ではなく,モグリ(?)出演だったので,自分が見たのは初舞台のときが初めてだと思う。


自分の歌舞伎見物のスタンスは「気が向いたときに,無理せず」なので,これまでの亀三郎出演公演を網羅しているわけではない。働く幼稚園児なので出演数そのものも多くないが,その中でも観ていない公演のほうが多い。小学校に上がって義務教育になると出演機会がさらに減る(そして高学年になり,中学校ぐらいになるともっと)懸念もあるが,無理はしない。


とにかくかわいい。初舞台当時「4歳男児最強」の思いをさらに強くしたのは亀三郎だった。それから1年半で,身長も伸びて,顔つきも大人びて,しっかりしてきた。とはいえ,まだまだ「とにかくかわいい」真っ盛り。この先幼児が少年になり青年になる過程でどう育っていくかはわからないけれど,それも含めて文字通り役者の成長を見る楽しみである。


2月の「六代君」の役では舞台の上にいる時間が長かった。台詞や動きは多くないが,とにかく長時間座っている。去年見たなんだっけ(寺子屋の菅秀才だっけちがうっけ)も,やっぱり,重い着物と重い鬘で舞台の上で長々じっと大人しく座っていなければならないお役だった。ぼんぼんの子役というのはそういう役が多いのだと思う。


六代君は,きちんと背筋を伸ばしてじっと座っていた。ただ,時折視線があちらを向いたりこちらを向いたりする。それが,六代君としての目配りなのか,中の人の素の反応なのかはわからなかった。気にしているから,ではあるだろうが,六代君の一挙手一投足ならぬ一視線一視線が,気になる。改めて気づいたのは,その場に居る大人たちの,存在感の殺し方のすごさ,だった。


舞台の上にはいるけれど今は別の人にスポットがあたっている。そういうとき,大人たちは置物のようにぴくりとも動かず,視線も動かさず,存在感を消し去っている。六代ちゃんは六代ちゃんとして,場のゆくえが気になる場面だろうから,ある意味では反応が薄い大人のほうが不自然でもあり,そのへんはどういうお約束なのかはわからんかったのだが。


以前から何度か書いているが,今の5歳前後には,同世代の御曹司が集中している。


折しも,こんどの5月の歌舞伎座團菊祭で,菊之助の長男が尾上丑之助を名乗って初舞台を踏むことが発表されていた,らしい。情報についていけていない。


先頃,海老蔵の息子の初舞台も発表されていたような気がする。そして親が團十郎襲名だったか。なにしろ,情報についていけていない。


2月歌舞伎座は2世辰之助の追善興行である。三十三回忌とのことで,今の松緑が12歳のときに亡くなった2世を,当然わたしは知らない。現松緑辰之助を名乗り,海老蔵新之助)・菊之助と「平成の三之助」と呼ばれていたのも,わたしが歌舞伎を見るようになる少し前のことである。


彼らがちょうど自分と同世代。時は流れてさらにその息子たちの成長を楽しむ時代がやってくる。今から二十五年ぐらい経って,彼らが三十代に差し掛からんとするきらきらの花形役者に成長するころ,本棚の隅から色あせた舞台写真を引っ張り出して,大人になったねえとしみじみするのが楽しみなのだ。


亀三郎の父親の彦三郎には,勝手にいろいろな縁を感じている。今井寿プロデュースの御朱印帳を入手したので御朱印集めを始める,といったあたりからも縁を汲み取っていただきたい。


だから彦三郎推しだし彦亀兄弟推しだし,亀三郎推しになるのもしかたない。


何が言いたいかというと,1月25日放送の弥生の花浅草祭を見逃し録画もしそこねたということである。